2012.05.28

ハナ差

昨日の東京優駿(日本ダービー)、1、2着はハナ差。勝った岩田騎手泣いてましたね。一方、23センチのハナに泣いたフェノーメノは、知人の出資馬。某社にてこれまたハナに関わるヒット商品を開発した彼女とは、ユニオンOCの一口馬主時代からかれこれ10年以上の知人。奇しくも狂言を見るので、万酔会にも何度かご来場してもらっている。府中のコース適正がありそうだから、秋は天皇賞もJCも楽しめそうですねぇ。

私の方は、一口馬主もキッパリやめた。馬券も1点百円の観戦料程度(と思っている…)。昨日は実家でTV観戦。母が仏壇から父親の遺影をTVの前に出してきた。父が脳溢血で倒れたのが、4年前の安田記念の翌日だったなぁ。

皐月賞は葦毛が勝ち、ダービーは枠で56が来たから、父が生きていればこの馬券は取っていたかもしれないな。葦毛は愛犬が真っ白な紀州犬の毛色から、56は名前のコロから語呂合わせで毎回のように買っていたからねぇ。

営業マンだった父は、飲む打つは一通りやっていたようだ。買う方は知らないが。ただ、馬券を毎週買うようになったのは、弟や私が一口や地方の馬主を始め、兄弟揃って北海道へ旅打ちをするのを羨ましく思ったからじゃないかなと思う。今思えば、大学を出てから家族4人で旅行をした最後のものは、10年ほど前の小倉大賞典の時だった。昨年手放したという毎日新聞のメカリ荘にふぐを食べに、あわせて小倉競馬も楽しもうと誘ったんだった。

☆ ★ ☆

さて、うちのハナ差はどうでしょうか…


■鯉幟の横に並んだ三代のハナ(母、子、妻)


■一往父子でも並べてみた。


■ついつい、このハナに目が行く…

ハナのことばかり言って、可愛そうだとは思うけどねぇ。

☆ ★ ☆

勝ち馬の矢作調教師は、あの開成出身なんだ。知らなかった。頭は良い筈だ。

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2012.05.26

馬鹿で蔵を建て

「浦安と早稲田は馬鹿で蔵を建て」


■蔵は建てられない馬鹿親と入浴中。


2週ほど前、参加している古巣の俳句糸瓜句会の同人が教えてくれた江戸川柳。
浦安は馬鹿貝、早稲田は茗荷が名産だったからのようだ。早稲田の名産が茗荷というのは、大学時代4年間通っていたが恥ずかしながら知らなかった。江戸野菜の会のような団体があり、2年ほど前にメディアでもとりあげられたらしい。

早稲田ミョウガ(JA東京中央会)
茗荷はこれからが美味しいですよねぇ。奴にも良し、素麺にも良し。俳句の包丁人・佐藤倖三氏は、ジュンサイなどと一緒に氷でしめた酢の物でいい酒のお供にしてましたね。亡父は京都二条大橋東入の加藤順漬物店の茗荷の志ば漬が好物だった。あれは旨い。

☆ ★ ☆

我が同人、この川柳についてネズミーランドとバカだ大学が金儲けしているノストラダムスばりの驚異の予言句と突っ込んでいた。

バカだ大学の金儲けはネット界隈で大騒ぎしたstudygift炎上事件の方かな。毒婦・佳苗キッチンと同じ構図じゃないかという指摘もあるが、この増田の意見「ソーシャル寄生主義のStudygift界隈へ抱く嫌悪感」に同感。

☆ ★ ☆

茗荷を食べるとバカになると言う由来に引っ掛けた狂言が名取川。いい曲です。

小謡、万之介先生にお稽古してもらうことは適わなかったけど。

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2012.05.25

手に届く宇宙

日に日に、愚息の手に届く宇宙が広がっていく。


■「おとなの階段上るぅ 君はまだぁ~」(by H2O)

去年の今頃はまだ、山ノ神のお腹の中でポンポンしてんだけどねぇ。着実に階段を登っていくのが分かる。まだ1段しか登れず、自力で降りることは出来ないけれど。

☆ ★ ☆

石田先生のご長男、淡朗君がハリウッドにデビューすると言う話を昨年暮れに耳にしていた。いつごろ日本のメディアで取り上げられるかなと気にしていたら、ネットで発見。

大戦中、日本軍の捕虜になり拷問を受けた元英軍将校エリック・ローマックスさんの自伝的原作「泰緬鉄道 癒される時を求めて」The Railway Man(IMDb 2013)で、重要人物の陸軍通訳・永瀬隆の若き日の役どころのようだ。同サイトでの彼のプロフィール。顔はお母さんに似てるなぁ。昔はお父さんに似ていると思ったけど。

花園神社横の飲み屋Sで、石田先生がまだ生まれたばかりの淡朗君の足をつまみながら
「親はなくても子は育つんだ」
とか豪語されてたのが、4半世紀前のこと。万作の会でも上手い子役として活躍してて(新作狂言の梅ノ木なんかは良かった)、将来は万作一門を背負って立つと思っていたんだが、中学出た後英国へ留学してたんだよね。

父親が中堅の狂言師とは言え、将来狂言師としてビッグネームになるかどうかを10代の時に決断したのだろうか。古典芸能は基本的にスター制度。シテ方などは看板以外は目立つ必要なしと聞くしね。別の分野であれば、しがらみに関係なく実力で評価されるからな。NHKの大河ドラマの主役をよく古典芸能の若者が選ばれるのが、大手芸能プロダクションのしがらみがないという理由が大きいと言うが、全く反対のシチュエーションかもしれない。

狂言界、特に万作の会としては残念だろうが、幼い頃から芸の鍛錬をしているのだからいいハリウッドスターになってくれることを期待する。当然のように着物が良く似合うはずだし、声も身体の構えもしっかりしているのだから。

我が愚息も狂言の稽古をして、こんな道を歩むことは… 分からんな。でもちょっとだけ期待。

☆ ★ ☆

一昨年、山ノ神とDVDで「戦場にかける橋」を見て、永瀬隆の泰緬鉄道関係の本を読んだり、九段の遊就館へ実物の機関車を見に行ったりした。どんな映画になるのかねぇ。期待しよう。

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2012.05.24

鏡の奥

一族のカテゴリでも、少しずつメモを残しているように、ここ4、5年、先祖のことの調べている。不惑の声を聞き、伯父や父が相次いで亡くなり、今調べておかないと分からなくなってしまうという危機感が第一。先日も伯父の十三回忌の法要があり親戚が集まったが、90近くなった伯父や伯母の姿を見ると、次に会う時はどうなるだろうかと、気も暗くなる。ある伯父は今回出席しないともう皆と顔合わせできなくなると無理を押して出てきたと聞くし、またある伯父は認知症が進んだのと同時に嫌な病気も見つかったんだと従姉妹が話をしてくれた。3年前の私の結婚式の頃はあんなに元気だったのに。


■愚息の中にも先祖のDNAが繋がっている。

この危機感のほかには、直接の仕事ではないが相続関係のことをしていて、戸籍を取ったり、読んだりすりことに抵抗なくできるようになったこと。それにインターネットで、蒐集できる情報が増えたことが大きい。そして、祖父の出身地・奈良県が山ノ神の実家と同じだったこともある。

一族の出自である榛原の八咫烏神社。子どもの頃に父や伯父たちから、先祖は神主と医者の兼業だったと聞かされていたが、本当かねぇと思っていた。結婚する前に寄ったのは、20歳の時一度だけ。本当にそんな神社があるのか?と、近鉄榛原駅からテクテク歩いてお参りしたのだ。


■1987年5月に寄った時の写真。鳥居と門柱が倒れていた。


■由緒の看板も古い。2012年の今は掛け代わっていたと思う。


■当時の拝殿。これは変わっていないと思う。

あの時は、昭和初期に寄進した名札がまだ残っていたと思う。我が祖父の名を見つけた記憶がある。神主の子なのに、何で寄進しているんだ?と思ったから、間違いない。21世紀になって再訪したときには、その名札は無くなっていた。トイレも水洗になっていたし、サッカーのマスコットも出来ていたんだよね。

☆ ★ ☆

この先祖調べは、テレビドラマとなったクンタキンテやチキンジョージの登場するアレックス・ヘイリーの「ルーツ」やNHKの「ファミリーヒストリー」でも分かるように、ポピュラーな行為のようだ。「ファミリーヒストリー」の番組紹介では<<祖父や祖母、そして父や母が生きた歳月。家族の歴史を紐解くことは、自らの「アイデンティティ」を見つめる作業である。「戦争」や「地域」が、家族の営みにどんな影響を及ぼしたか。築き上げた“絆”は、いかなるものであったか。東日本大震災が起きたこの年、「家族の絆」を見つめなおす番組。>>とある。別に先祖が有名だったとか、偉人さんだったというのはどうでもいい。先祖を訪ねることによって、歴史がぐっと身近になる。新しいことを知るのが面白いんだよね。

昨年、五親等以上離れているなど遠い親戚の方と縁が繋がった。従兄弟や従兄弟の子くらいまでは親戚かなと思う気持ちも正直分かるが、初めて会ってどこか親しい香りを感じるのは何だろう。


■我が曽祖父・元朗。昨年、遠縁の方のところで対面した写真。戸籍も拝見。昭和中期の戸籍ので「平民・醫」とまで書いてあった。

「先祖を調べて、遠い親戚と会って面白い?」と言う方もいるのも確かだ。(うちの母親とか)
旅行が趣味の方に、ガイドブックと同じ風景を確認するのが楽しいんですか?と嫌味を言うのと同じで、それが面白いんですとしか答えられない。(古巣の同期Y君は、ガイドブックと同じ風景を確認するのが旅行の醍醐味と豪語)

「過ぎ去ったものを思い返すのは断じて逆行的な回顧趣味ではない。過去は正当性のある人類の遺産である」と渡辺京二は言ったが、自分の身近な人の背景を知ることは、自分自身とはなんだったんだと考える拠り所になるんじゃないか。

☆ ★ ☆

贔屓にしている作家星野博美の「コンニャク屋漂流記」も面白く読んだ。大田区の町工場の娘の彼女の先祖が御宿の漁師。その屋号が「コンニャク屋」。下総の御宿から紀州、堺へと先祖を巡る話だ。その中で、突然現れた親戚に戸惑って拒絶する話も出てくる。親戚なんて面倒くさいと思う人もいるのだ。

借金の無心と警戒する場合もあるだろう。自分の与り知らないところで、先祖がその方の先祖に嫌がらせをしていたかも知れない。白い歴史もあれば、黒い歴史もある。

それでも、無理押ししない程度でいいから知りたい。

先週の終わりに、5代前に分かれた親戚と思われる珍しい苗字の方々に葉書を出した。案の定、親戚だった。何と手紙が届いた翌日がその親戚方の従兄弟会で榛原にある縁のある処で集まったんだそうだ。

何という奇遇。きっと先祖がまた集まれと言っているのかもしれない。そんなことはないか。

☆ ★ ☆

今週も2通、遠縁ではないかと思われる方々に葉書を出した。今度はどうなるだろうか。

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2012.05.22

後ろの正面

今の社会はそろそろ筒一杯のところに来ているのではないか。このまま消費社会が繁栄を続けるわけが無いという、ぼんやりとした予感。そんな思いの中、昨年父親になってしまった。

先日読んだ渡辺京二が、「共産主義は資本主義に敗れた。しかし、資本主義は勝ったのでない。自己の中に恐ろしい敵を抱え込んだ」とか「ユートピアを求めて逆ユートピアを作ってしまった」というようなことを書いていた。私が巡回している魚山人のサイトでも「資本主義も共産主義も終わっている。この100年のような「平等に近い」「中産階級が人生を謳歌した」時代は極めて異例で珍しいが、終わりに近づいているのではないか」と語っている。

愚息が大きくなる頃には、今までの生活観、社会観などがご破算になるだろう。どんな子育てをしようかと、山ノ神と一致しているのが、「生き抜く力をつけさせる」こと。

我等夫婦が先立った後、兄弟も従兄弟もいなければ、残されるのは愚息だけになるかもしれないのだ。

雨にも負けずではないが、強靭な肉体を養うこと。
病気や怪我に強く、我が座右の銘「寝れば治る」の精神の下であれば、精神的にもタフであれば、生き抜くことは出来る。

身体も大きくなって、悪い奴らの餌食にならないようになること。小さければ幼児は虐められるし、おじさんになればオヤジ狩りにあう。大きいだけで標的にはならない。

愚鈍でなく、賢くなること。自分で考えて行動する。受験に強いようなマニュアル君ではない生きる知恵を持って欲しい。

仲間は要らない。友を持て。

それに一生楽しめるスポーツや音楽、芸術のセンスがあればいいとは思うが、楽しめるかは本人次第。才能は「隠するより現る」だからねぇ。

いずれにしても、基本線は「生き抜く力をつけさせ」てあげたい。

☆ ★ ☆

十数年後、どういう顔して振り向いてくれるか。

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2012.05.17

先祖調べをしてて、もしかしたら親戚ではないか?という照会の葉書を先週末に関西の黄檗宗の寺院4軒宛に投函。どんぴしゃだった。たまたま今週初めに従兄弟会が催される予定だったとかで、これも何かの縁だと感激されていた。私も感動した。近々に会わねば。

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2012.05.16

記憶に残ってなんぼ(つかこうへいの70年代)

週初めの2012/05/14、現代演劇シリーズ第39弾 つかこうへいの70年代展の演劇講座 「座談会 つかこうへいの70年代」@早稲田大学大隈記念講堂(大講堂)へ。当日、TWで催事を知り、つか役者3人が講師なら行かねばと、仕事の状況が平穏だったので帰り道に立寄った。

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講師:風間杜夫(俳優)、平田満(俳優)、根岸季衣(俳優)
司会:扇田昭彦(演劇評論家)
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15分ほど遅刻して大講堂へ。空いている2階で拝聴。既に平田の紹介が終わっていたようで、根岸の途中と風間の紹介から最後まで聴けた。私はつかの芝居から10年近く世代が下で、高校時代につかと言えば角川文庫の小説の方が身近で、演劇部の稽古で初めて「熱海」を読んでやってみたのが馴初めだ。残念ながら「生の」つかこうへい事務所の芝居は知らない。役者や演劇部の顧問の先生からの語りからしか、その舞台伝説を垣間見ただけである。ただ、いろんな文章や役者たちのインタビューから、つかの凄さと言うものには憧れていた。

何しろ高校演劇時代は、イッパシに「小さい小屋でないと演劇の熱さは伝わらない」と、教師の要請のあった学園祭での大講堂での公演を拒否し、またビデオ撮影も演劇の一回性に反すると嫌がった。結局は妥協して、1回の大講堂公演とビデオ撮影を認めたが。

亡くなってから、「つかこうへいの新世界」(メディアート出版)を買って読み、捨てずに大事に取っておいてある。


■古本で買った「つかこうへいの新世界」

口立ての様子や演技指導など「つかこうへいの新世界」を読んでいれば大体知っていたことばかりなので、今回の座談会は途中たるかった。が、風間の話が面白く、肉付けにはなったかな。根岸の肉声は、「つかこうへいの新世界」には載っていなかったしね。
別役には影響されていると文章に残っていたのだが、鈴木忠志に私淑していたとのうは初めて知った。

以下、印象に残ったコメント。

根岸:「つかこうへいは常に銀ちゃんであり、役者は常に誰もがヤスの状態という人間関係」

風間:「客を気持ちよく騙せ」「お前のスベテをぶつけろ」「三浦のテープが有る」「お前の人生が浅いんだよ」「演劇は一回限りの潔さ」「つかさんにとって、役者が代われば同じ台本でも新作」

平田:「(古い映像を見て)演劇は記憶に残ってなんぼ(だったかな?記憶曖昧)」

扇田昭彦:鈴木忠志の家で初対面のつかこうへいに怒られたエピソード。「食事に招かれて残すなんて人の道に悖る。僕だったら三日前から断食して、前日に10キロくらい走ってから来ます、そうしたらどんな食事でもおいしくたいらげられますから」

風間の和芸はいいねぇ。また風間の芝居を見たいなぁ。過去の貴重な映像とやらは見たいとは思わない。平田の言う通り「演劇は記憶に残ってなんぼ」だな。

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この座談会とは関係ないが、つかの訃報の時(2010/07/16)に北村想がつかのエピソードを書いている。

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つかぬこと

この業界で40年やっているから、表も裏も知っているので、いまさら、立派なひとをなくしたのと、肩を落とすこともなければ、早すぎると嘆くこともないのだが、つかこうへい氏の演劇からは、どんな影響も受けていない私が、現実に遭遇した事柄を少し述べておく。まだ彼が劇団『暫』と良好な関係であったとき、名古屋でも何度か公演があって、まだ彼も時間に余裕のある身であったから、名古屋の演劇インテリたちが、焼鳥屋の二階座敷に彼を招いて、飲み会を催したことがあった。私も末席に座って、酒は飲まず、彼が名古屋インテリ演劇に対して何を語るのかを拝聴していたのだが、まず、インテリ連中の、演劇論の応酬があり、それぞれが(当時の私が聞いていても)ろくでもない立派なことを述べていたが、つか氏はこれに加わろうとはせず、ただ、黙ってビールを舐めているだけだった。しびれをきらした、演劇論リーダーが、「つかさんは、どうお考えになりますか」と、話を振った、そのとき、これをかわすでもなく受けるでもなく、「懐手してひとを斬る」とでもいおうか、ひとこと「ところで、つかぬことをうかがいますが、あなたがたは、何で食べてらっしゃるんですか」と、そのコトバを一閃させた。ここで、空気は凍りついたようになり、演劇論もへったくれもなくなって、さて、その後のことは知らない。私は座を離れたからだ。まさに勝負あったとしかいいようがナイ。つか氏がブレイクして、名古屋の某劇団が『熱海殺人事件』を上演したとき、カーテンコールで、役者が勢ぞろいして、それぞれ手に団扇を持ち、これをいっせいに裏返すと、文字が一文字ずつ書かれていて「客席につかさんがおみえです」と読める趣向だったが、どこを捜してもつか氏の姿はなく、これもまた、つか氏らしいすっぽかしの小気味よさだなと、私は苦笑した。生前は一度もお会いしたことはナイが、おそらく、会っていたら、食うためにゴーストライターの仕事くらいは引き受けていたに違いない。

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この日は、奇しくもつか役者の三浦洋一の十三回忌の命日だった。

演博の企画展に行くのは2009年の太田省吾を扱った「現代演劇シリーズ第34弾 太田省吾展-人生の「地」と「図」をみつめて-」以来3年ぶりか。

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2012.05.15

秀頼さん

初節句の五月飾りを先日仕舞った。飾りつけも仕舞うのも母親がやっていたので、今年は何もかも初めて。弟が中学に上がる前までは毎年出していたと記憶しているが、それ以降はずっと実家の天袋に仕舞ったまま。ただ五月人形はお人形さんに目があって年中真っ暗な天袋に仕舞っていたら可哀想と、毎年出していたそうだ。

三十年ぶりに見る五月飾りは記憶と箱の奥に残っていた手順書を片手に何とかやってのけた。筈だった。仕舞うまでは。
さて仕舞う時に兜の櫃に金色の板が張り付いているのを発見。ああ、鍬形だ。付け忘れたんだ。来年はちゃんと飾ろう。


■左が44年前の拙者と五月飾り。しっかり鍬形が付いている。右が今年の愚息。

鍬形がないからって、大きくなって2丁目通いはないよな。

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お雛様は桃の節句過ぎたら直ぐに片付けないとお嫁に行けないという都市伝説がある。五月飾りの方は、8日の大阪城落城の日までに仕舞うという説もあるらしい。旧暦で考えれば、まだまだ飾れるんだよね。

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2012.05.11

残される方が

GWが終わって、山ノ神と愚息はまた奈良へ行ってしまった。

普段でも2週おきに再会と別離を体験しているのだが、今回は堪えたな。お正月の時は、奈良まで送って自分だけ引き上げてきたし、2週間おきののも自分から立ち去る立場だ。立ち去られて、この場に残るというのは厳しいね。


■東京駅の八重洲新幹線口のエレベータ。見送側からも、中が見える。写真には撮れなかったが、上がっていくエレベータのカーゴの中で、愚息は笑ってくれた。

今週は愚息の居ない週末だ。

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2012.05.08

従兄弟頼むで

GWの最終日は、隣県に住む弟邸へ。帰朝早々で申し訳なかったかなと思いつつも、料理好きの弟とケーキ作りが趣味の義妹の味をごちになった。技術屋の弟は、独身時代から餃子は皮から捏ねるし、漬物は浅漬はお茶の子で、糠漬、ラッキョも漬ける。圧力鍋は2セット、業務用の珈琲焙煎機、エスプレッソマシンまで揃える凝り性。会ったことも食べたことも無いけど、母方の親戚には料亭を経営する庖丁人もいる血が関係あるのかなぁ。


■電車は楽し。数日前、山ノ神は東急田園都市線の渋谷駅のバリアフリー度に怒髪天を衝く状態(「○ね!東急」とメールが飛んで来た)だったが、この日の乗り換えは問題少なし。GWの日中は、子連れベビーカーは多い。


■ドイツビールと皮から作った餃子など。右手はイチゴとブルーベリーのケーキとエスプレッソ。餃子は大皿3皿60個作ったとか。これだけ作ると、筋肉痛になるんだそうだ。離乳食数ヶ月の愚息もご満悦。義妹のケーキは折り紙つき。

弟一家の話を聞くと、いやはや兄弟、家族はいろんなところで似るものだと判明。私もお金に細かいけど、弟はそれに輪をかけて細かいんだよねぇ。おそろしい… しかも、趣味の将棋中継を一緒に見させられているようで、脱帽脱帽。BSの将棋祭りなんかは、将棋を知らない人でも楽しめるとは思うけどねぇ。

私は能狂言の番組は一緒に見ないでしょ? 弟よりは気配りが出来ているとでしょと、山ノ神の目を見たのだった。自分の出る舞台や楽しい千作翁のは見せてもいいと思うけど、それ以外は躊躇するな。

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■鼻が咲いている所はそっくりの叔父甥。「叔父さん、早く従兄弟を頼むで~」(愚息談)。

従兄弟が居ない家族も最近は多い。うちの事務所の経産婦連の家族も全くいない。気配がないとか。いっそ、擬似従兄弟会でも結成しようという話まで出てきているんだなぁ。

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