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2004.02.15

時流?自流?

小鼓方・大倉源次郎師の華通信WEB:刻々是好刻の2004/1/17の項に、

深夜の歌番組を見ていたら、今話題の森山直太郎のバックのパーカッション が、左手で鼓を持って左肩という間違った使い方で演奏。プロならば自国の正 しい楽器の持ち方をして欲しいが、一般の人は気が付かないんでしょう

というような嘆き節を見つける。

※小鼓の構えについては、喜多流の粟谷菊生師

小鼓というものは黙って前に置いて持たせると、大抵左手で持って左の肩にもってゆくものです。
と述べてます。 (ここの項で、初めて知ったのが、小鼓が地球の引力に逆らって打つ打楽器だと いうこと。言われるまで気が付かなかった。それと、皮が馬なんで、胴は桜とい うも、思わず唸ってしまった。)

同じ種類の嘆きを1999年のプロジェクト・ナビの「螺子と振り子」を名古屋で見た
ときのパンフで読んだ覚えがあります。主宰の北村想が「断想」と題しているもの。
原本がすぐに出てこないが、その文章に痺れてしまって、友人に送ったメールが残っ
ているので紹介。(問題がある場合はすぐに削除します)

<断想>(1999年6月のプロジェクト・ナビ「螺子と振り子」パンフより)

最近では日本でもあちこちの映画館で目にするロビン・ウィリアムスであるが、私
の記憶が正しければ、彼はヴォードビリアンで大道芸人であった経歴がある。

その彼が、来日したさいに、例のお昼の定番バラエティ『笑っていいとも』にちょ
いとであるが、エンディング・ゲストで出演したことがある。

サービス精神旺盛の彼のことだから、そこでマルクス兄弟のたしかグルーチョの真
似をしてみせたのであるが、通訳が「これは、グルーチョ・マルクス」ですと出演
者に伝えたときである、レギュラー出演者の誰もが、マルクス兄弟を知らなかった
のである。
中には、コントを本業にしているお笑い芸人もいたのに関わらず、誰もマルクス兄
弟という存在を知らなかった。

「マルクス兄弟ってなんですか」

と、芸人が通訳に質問していたが、通訳は、それをロビン・ウィリアムスに伝える
ことはしなかった。恥を心得ていたのは、通訳の女性のみである。

今日のように、笑いというものが、解体して、観客を笑わせるためには、自身を笑
わねばならないという構造ができあがっている現在、こういうことは、単に不勉強
としてだけかたずけることでもないのかもしれない。

つまり、時流なのだ。

      ☆

唐十郎さんが、東京郊外で灰かぐら劇場と銘打って筵で囲った劇場で、『腰巻きお
仙』のシリーズをやったとき、3ステージだか4ステージで、観客は70人たらず
であったという。

このときのことを唐さんは、

「これぞ、観客の中の観客」と書いている。私が、東京の赤テントを初めて見たと
きも、『あれからのジョン・シルバー』だったと思うのだが、寝転がって見られる
くらい空いていたものである。

現在、プロジェクト・ナビの観客は、最盛時の三分の一にとどかなくなっている。
時流に沿った芝居というのをやっていないから無理もないが、時流より自流である。
私もまた「観客の中の観客」を相手に上演できる舞台を試行錯誤していきたいと思
う。

                                北村想

(数年後、ついにナビは解散してしまったけど、3/4~7にナビ・ロフトでavecビーズ
 というユニットで「散るミライ」を掛けるそうです。イラストはお馴染みのあおき
 ひろえ、出演も懐かしい神戸浩の名前がありますね。行きたいが、行けるかなぁ。。)

☆ ☆ ☆

嘆き節を発する機会が減らすためには、おかしいことをおかしいと指摘する姿勢や、
本当の姿や本来の意味を知ってもらって、情報の発信者も受信者もレベルの底上げが
いるんです。一部の人達のためのもので済ますのならば兎も角も。

一種のグローバル化がいるんですね。

その時、頑なに自分を守れとは言わないが、時流に媚を売ることもない。
その肚という物がみえないと、崩れたものが伝わってしまうんでしょう。
きっかけは、きっかけ。更に時間をかけて奥へ導くという肚づもりですね。

onoさんが、松岡正剛のいうグローバル化の2つのやり方を相撲と柔道で紹介してい
ました。柔道の様に普及のために自分自身を替える方法と、相撲の様に頑なに自分を
替えずにグローバル化を果す方法があると。

柔道がここに来て競技のJUDOと別れてしまったのは、この肚づもりがどこかへ見失って
しまったからかも知れません。

尻切れとんぼですが、また続きを別の機会に。

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Comments

こんにちは。

前半のお話を伺って、
「素人芸が本物の顔をした時代」なのだと思いました。
音楽番組では、演奏することさえ滅多にないと聞きますし。

鍛え抜かれた本物の素晴らしさを分かる自分になりたい。
自分なりの本物を磨こうとする自分でありたい。
そう思いました。

Posted by: シュンペータ | 2004.02.15 at 17:08

トラバ、ありがとうございました♪

>時流?自流?

めちゃくちゃ良いっすねぇ、このタイトル。
よぉでけたぁるなぁ とため息つきました。

Posted by: ono | 2004.02.15 at 17:59

 >シュンペータさん、onoさん

纏まってないエントリを公開してお恥ずかしい限りです。
「素人芸が本物の顔をした時代」のコピーは的確です。
これは隣のお姉さんがアイドルになり始めてから言われて
いることなのかも知れません。

私も本物を磨かねばと思います。

 >onoさん

「時流」も「自流」も、5年前の北村想さんの文章から。
もうこういう流れは、時流どころじゃなく、泥流になって
しまっているかも知れません。

Posted by: | 2004.02.15 at 20:35

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