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2004.02.21

鎌腹

今日(2004/2/21)は世田谷パブリックシアター狂言劇場(舞台芸術<パフォーミングアーツ>としての
狂言)Bプロ。

万之介シテの鎌腹という滅多にない番組が、この企画にこっそり組み込まれていたんです。
しかし、萬斎人気で彼の出る舞台は何でもかんでもチケット難民。

それもあって、前売は当初から諦めて、公演日近辺に出回る嫁ぎ先求むのチケット狙いか、
当日券で見に行くことにしています。今回は、運よくネットで譲って戴ける方とコンタクト
を取ることが出来、1階の良席で拝めました。ラッキー。

★ ★ ★

今日の演目。

「能楽囃子」

「鎌腹」
太郎/野村 万之介
女房/高野 和憲
某/深田 博治

「二人袴」(三段之舞)
聟/野村 萬斎
親/野村 万作
舅/野村 万之介
太郎冠者/月崎 晴夫

舞台の構造は、突出しの能舞台。橋掛かりはツの字に三叉させた3本。二人袴の時は、正面
向うに突き抜ける橋掛かりは、囃子用に組替え。柱は鎌腹の時だけ、ワキ柱のみ。幕はなし。

★ ★ ★

鎌腹は、期待が大きかっただけに。拍子抜け。相手がいると、万之介の滋味が拡がるのに、一人
だと砂地に水を撒いているよう。鎌腹自体が番組の初番向きじゃないのかもしれないし、普通の
能舞台だったら、そういうことは無いのかもしれないが。独り舞台は演者も観客も緊張感を強い
るんでね。

万之介の味は掛合いでこそなのかなぁ。数年前の花子は魅せてくれたので、一人が全くだめとい
うことないと思うけど。

☆ ☆ ☆

最後に太郎が舞台から捌けるとき、真ん中の橋掛かりを客席に背を向けて行きます。顔の表情を
客席に見せずに消えるのは、哀愁を漂わしてくれます。映画でもある手法だと思うけど、狭い舞台
では距離感が足りないし、浅い感傷にしかならない気がします。

それとどうでもいい私のこだわりですが、狂言はお客さんに尻を見せないというものじゃないかと
思っているので、この終わり方は何だかなぁとも。(←独り善がりともいうべきか。。。。)
(お尻を見せているときは、舞台に居ないというお約束の時。)

★ ★ ★

二人袴は、万作萬斎親子の息があって、エンターテイメントとしては良かったんではないでしょうか。

今日の2曲とも、話の筋を楽しんでくれている客席だったのが、好都合だったかな。
(万作さんが元気そうで、まだまだ舞台を楽しめそうです。)

舞台芸術<パフォーミングアーツ>と考えると、普段の能舞台の狂言の方が刺激があったとも思います。
狂言としてはいろいろ実験してますという気持ちは感じるけど、他のパフォーマーからみたら、本物の
有るべき姿のものの方がメッセージを感じたり、影響を与えたりするんですよね。きっと。

☆ ☆ ☆
(追記:2004/2/22)

鎌腹が物足りなかったのは、鏡板がない舞台で演者がちっぽけに見えたからかも知れません。
どこまでも続くようなまっ暗な背景と舞台の明るさ、両脇に控える客席の力関係のアンバランス。
不安定に感じ、演者の内面に引き込まれにくかったのでしょうか。

エンターテイメントには問題ないにしても、客席との一体感を持たせるには辛かったか。

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