数の記憶
こすもす: 1000を数える?とこすもす: 一番大きな数で大きな数の感覚について触れています。
日本語は数字感覚はドイツ語とかフランス語などの言葉と比べると機能的なんですよね。
金田一春彦の本でも、九九を学校で教えるのは自動虐待だと戦後統治で遣ってきた面々が語ったとか、
シベリヤで抑留だれていた方々が人数の勘定をさっさとやるをロシア人看守がインチキしていると数え
直した話とか取り上げていました。
もし、日本語の数の数え方がやまと言葉の「ひぃ、ふぅ、みぃ」のまま延々と無量大数まで続いていた
ら、それらの外国語と同じだったかも知れません。
元々日本古来の言葉に、観念的な単語は無かったようですから、数字も「とう」ぐらいまでしかなかっ
たんでしょう。それより多い数は、「やお」とか「よろず」とか「あまた」で済ましていたのかも。
この辺は推測です。南太平洋のどこかの島の言葉でも、「1、2、3、4、沢山」という風な数勘定をする
ものがあるとか無いとか。
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鮮明に残っている私の数の単位の記憶。それは、24年くらい前にTV朝日で夜遅く放映していたカール・
セーガンのCOSMOSで提供されていた日本IBMのCM。あのロケットが打ち上げられるバックに、多分「塵劫記」に記されている漢数字の画とナレーション。子供だった自分にはIBMがどんな会社か知らなかったし、興味もなかった。けれど、数字には、「阿僧祗」「那由多」「不可思議」「無量大数」と続くというのが印象的だった。(参照:漢数字早見表。)
算用数字の羅列より漢字だから数の大きさに重みが感じられたんでしょうか。
男性ナレーターの落ち着いた読みが耳に心地よかったのか。
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ちなみに狂言の台詞(夫婦になる誓いの言葉)では、永遠の意味あいで「五百八十年」を「萬萬年」
と合せて使っています。580は何が由来なんでしょう。古事記の山幸彦(火遠理命 (ホオリのミコト))が
五百八十歳という没年表記があるそうなので、そこからかも。
(五百八十七曲り:五百八十年+(一曲り)60年×7=千年という祝のことばもあるそうです)
Comments
トラックバックありがとうございます.
Cosは漢数字の表を授業で
「数学の勉強の役には立たないごみみたいな資料」といいながら,配るのですが,生徒たちはものすごく熱心に見ます.
しかも,かなり大事にとっておくようです。
そういえば,旧約聖書でも何百年という長寿の人がいたような記憶がありますが違ったかなあ?
(ちょっと手元に見つからないので自信がないけど・・・∥^O^∥)
Posted by: Cos | 2004.02.28 21:08
トリビアの泉が受けるのも肯けますね。
Posted by: ぶ | 2004.02.29 17:08
昔から大和言葉での数の数え方については、すっきりすることがありません。
やはり「とあまりふ」とかいうように、
十以上は正確な表現手法はなかったんでしょうか。
百の代も百(もも)、五百(いほ)、八百(やお)以外は目にしませんね〜。
Posted by: たかし | 2006.01.05 03:45
>たかしさん
ども。1年も前のエントリにコメントありがとうございます。
あと、せいぜい「ちとせ」とか「ちよ」の「千(ち)」かな。狩猟・物々交換のままの社会では大きな数は意識されないでしょうから、農業、商業が発達しないと数の概念は出てこないでしょうね。
Posted by: ぶ | 2006.01.07 10:16