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2004.06.12

万之丞(耕介)亡き後

この悲報を聞いた直後、お悔みの気持ちのほかに頭に浮かんだことは、喧嘩別
れのお家騒動をしている万蔵家と万作一門の雪解けの契機。不謹慎だけど。
(もうひとつは、演出・芸能指導の行方。これは別のエントリで)

どの追悼文でも、野村万蔵家・万作一門の結束を望むようなコメントが多いので
すが、和泉流の結束力低下に危機感というコメントは見なかった。

萬斎の「発言力の強い人」とコメントしているように、万之丞(耕介)の政治
力は強かったようだし、組織力を強めようとしていたと思う。能村家を野村姓
にしたり、和泉流職分会の取り纏めしたり、近畿や九州に近親者や弟子を配置
するところ、コースケ事務所などの会社組織などから伺えます。

良くも悪くも和泉流を纏めようとしていたという動きから和泉流の家元になろ
うとしていると反発されていたようだし、政治力の強いトップがつくことに対
して亡き家元・元秀を思い出す方もいたのではないでしょうか。

他の和泉流演者たちは「芸のことさえやっていればいい」ということなのでしょ
うか、組織とか政治には無関心。「和泉流」を組織として推進しようとしていた
人間は万之丞(耕介)しかいなかったというのもあります。

これで和泉流は又三郎・萬・万作ら重鎮に芸も政治力も求められることになる
んでしょうね。

重鎮がいなくなると求心力のある若手はいないので、ますます分散する可能性
もありますね。。。

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