勧進帳
今年の年賀状は暮れの禰宜山伏の写真に。いつもよこたしぎさんか奥さんの蛸花さんにイラストのお願いで甘えていたんですけどね。今年のNHKの大河が義経だし、弟の撮った写真が勧進帳の弁慶みたいに仕上がっていたんで、この写真にしました。
案の定、「あれは勧進帳?」とか「弁慶?」という問合せが、狂言を観ていない方から結構ありました。万酔会の着付けの時にお手伝いしていただいた野村良乍さんから「弁慶みたい」「強そう」とか言われていたんで、カッコだけはマツケンがライバルですね。
その勧進帳。今月から書き手が替わった日経夕刊のコラム「プロムナード」で、1/6付の北村薫さんが興味深いことを書いていました。
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「全てを理解していた富樫が、引っ込む瞬間に、涙を呑んでぐっと上を向く。(略)。これは見事な恋愛劇で、義経と弁慶の不動の愛を見た富樫が、---それは終生、自分の手には入らぬものと思い、涙するように思えた。」(北村薫・2005/1/6日経夕刊)
歌舞伎の「勧進帳」は能の「安宅」を乗せ変えたもの。プロットは同じでも、描き方が違うんですね。義経・弁慶主従と富樫の三角関係か! 歌舞伎の勧進帳の盛り上がり方と能の安宅との違いが氷解した気がした。能の安宅では、義経と弁慶の不動の愛といった生臭さを描こうとしていない。それは語りだからなのか。第三者の目で見えてしまうのかも知れない。
某サイトの鑑賞記で「いい能では少ない人数以外の情景が見えてくるが、歌舞伎ではそこに居る人々しか見えてこない。観客の意識の問題か、それとも1回にかける能の心意気が歌舞伎に勝るということか。」というようなことを述べられているのを読んだっけ。能と歌舞伎では描く力点が違っているから、全く別のもの。心意気の勝ち負けではないんでしょうね。
鼓の一打のように、人間一人の緊張感とその情景を描くのなら能の方が優れているし、その光景を浮き立たせてくれる一瞬を求めて見所に行っているだと思うんですね。例えば、雪降る光景を思い浮かべさせる「鉢木」とか。
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僕も一部見ているんですが、再度神様を手に取りたくDVDを求めてしまった。丁度Amazonでは在庫1つで、衝動的に!!
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