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2005.01.10

積読の整理

掃除をするか、暮れから積んでおいた本を退治するか休み前は思案したけど、結局掃除はせずに積読征伐。金曜に久々にボトル1本やっつけて、見事に土曜の朝からやる気喪失したのと、日曜の晩に後輩の演出する芝居を観に行くんで、出たり入ったりで根気がなくなってしまった。

暮れに読んだまともな新刊は中西 準子の「環境リスク学」だけだったもんなぁ。

よしもとばななの「デッドエンドの思い出」

ばななはいまはなくなってしまった当時福武書店の「海燕」で彼女が書き下ろしていたときは欠かさず読んでいたっけ。「キッチン」では牛丼だったけど、相変わらず食べ物が自然と織り込まれてて不思議な気分。お金と食べ物と性。そして幸福感。これらをさらっとパステル色に書けるんですよね。

そう言えば、圏外からのひとことでも、そんなことを言っていた。

「しかし、こちらは大人の物語で「耳すま」にはないものが三つある。金とSEXとオカルトだ。この三つがリアルにきちんと書かれていて、それでも「耳すま」のようにさわやかだ。金とSEXとオカルトをリアルに書いてもドロドロにならず、むしろドロドロの方が空想的であると思わせるほどのリアリティと重さを持っている。」(圏外からのひとこと:2004/12/26)※「耳すま」=映画「耳をすませば」。

三砂 ちづる「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」

オニババがもつ民俗学的なイメージとセンセーショナルなタイトルで身構えてしまったが、シンメトリーの竹内なんとかよりは裏づけがありそうな感じ。脳と肉体が分離してしまった現代人の悲劇か。「菱餅」の謂れが「おひし=女性器」という説は、全く知らなかった。ひとつ利口になった。今度気が付いたら調べてみよう。

こうの 史代「夕凪の街 桜の国」

 「
 十年経ったけど
 原爆を落した人はわたしを見て
 「やった!またひとり殺せた」
 とちゃんと思ってくれとる?
 」

「終」の次ページの白紙のページ。まだ物語りは終わっていないというメッセージについて、あとがきを読んで知る。

多分タイトルの本歌となっているのは大田洋子の「夕凪の街と人と」。これも機会があったら読もうとメモ。そう言えば、正月に見た星野仙一の妻の話でも、被爆した云々ってあったっけ。

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