神の立場か寄生虫か
ステレオタイプな記事が鼻につき始めた毎日の理系白書。(○○の毎日と言いたがるから、ステレオタイプになりやすい新聞社と言うのはひとまず置いといて)。理系と文系を単純に分けて説明しようとするのに無理がある。言葉の定義が曖昧、基準がぶれると指摘されては、説得出来るものも出来なくなる。先日読んだ『「心理テスト」はウソでした。 受けたみんなが馬鹿を見た』(著:村上宣寛。日経BP社)じゃないけどね。
学問の楽しさ(ここでは理系も文系もないのであえて学問というけど)を伝えられてないんじゃないか。伝道師面してしまって、現場とは別次元に立って、神の位置にいるように感じてしまう。かさねがさねの走り書き(2005/6/9)とか、森山和道さんの2003.7.6とか。アマサイの反理系白書とか。hirax.netのinside out「どんな「腸内菌」になりたい?」とかも銘ずる点だなぁ。
ドラマのあるシナリオ、直ぐに分かった気がする伝え方は正しく伝わらない。長く、深く伝える方法には適していないんだろう。
サイト公開の動機のひとつが狂言の周知だった自分にとって、いい寄生虫になりたいと自省。素人弟子という半分内部の人間なのだからこそ、中途半端な誤解を招くようなことは気をつけないといけない、と。
☆ ★ ☆
粟谷明生さんのblog(酒田の写真家・土門 拳)は、そんなことを考えていた時に読んでハッとした。
「実物がそこにあるから、実物を何度も見ているから写真はいらないと言われる写真では情けない。実物がそこにあっても実物を何度見ても実物以上に実物であり何度見た以上に見せてくれる写真が本当の写真というもの、写真は肉眼を越える。」私の好きな土門の言葉だ。彼の作品は視点の特異性と撮影者の強い主張があるから何度見ても飽きないのだろう。自分に置き換えると、「一回見たからもういいよ!」などと言われないような演能を心がけなければと、土門拳の写真を見ると反省する。
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