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2006.01.14

百人の愛好者と九百人の敵

今読んでいる「世の中ついでに生きてたい」(古今亭志ん朝/河出書房新社 2005年)。志ん朝と各界の方々の対談集なのだが、その中の勘九郎(1983年当時。現・勘三郎)の章で、勘九郎が言った一言に目が留まる。

勘九郎 「同じ若い子向けの、高校生のための歌舞伎鑑賞教室というのを毎年夏に国立劇場でやってますけど、『石切梶原』なんていうのを観せても理解に苦しむと思うんだ。すると国立側は千人に観せて百人の歌舞伎愛好者を作るって言っているけど、ぼくは逆に九百人に歌舞伎離れさせているような気がする。」
志ん朝 「うーん……。」
勘九郎 「ぼくは昔、そこで『忠臣蔵』の五、六段目の勘平をやったんですよ。いきなりこんなものを観せたってわかるわけないですよ。やっているうちにだんだんお風呂屋さんの中で芝居しているみたいになっちゃった。」
志ん朝 「ハハハハ。うるさくて。」(99-100頁)

「少ない人数でも愛好者が出来たらいいじゃないか。分からない奴は放っておけ」と常日頃考えていたクチなので、ハッとさせられた。敵が量産させるなんて、思いもよらなかった。学校での強制的という枠組みでは、敵になる害毒なんだろう。これは歌舞伎だけでなく、普通の教科でもそうなんだから。昔、教育審議会だったか、曽野綾子が「数学は人生に必要ない」と言う風な発言して物議を醸したが、これも彼女が数学を敵視していることに他ならない。

ああいう機会で初めて古典に接するのは、イコール、一生そのイメージが付き纏うわけで、最新の注意がいる。気安くは誘えないんだよねぇ。

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