華があるから駄目なのか
土曜に観た野田秀樹のTHE BEE。同じ三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで掛かっている野村萬斎の国盗人。今まで観てきた萬斎演出の梅ノ木や藪の中、こぶとり、鏡冠者を見ている限り、期待できるものがないし、長時間椅子に縛られているのは拷問だと思い行くことは止めた。
国盗人は観ていないのでコメントはしないが、先の彼の演出はどうも臭い。演者としては華があるからか、演者の小手先で済ましてしまっている気がしてならない。手元にないが確か岩波から出ていた「狂言三人三様」で彼の新作や演劇に対する危惧する点として、観世栄夫が言った言葉が的を射ている。「狂言という自分の土俵に持ってきてしまう嫌いがある」という意味の言葉だったかと思う。
遊眠社で一つの時代を築いた野田が、イギリスから戻ってきて、演劇の形を新しく作り上げ、しかも時代に即したメッセージ(例えば反戦)をこめているのに対し、同じ英国留学したのにこれでいいのだろうか?(鴻上もそうだが)
学生の頃、ござる乃座の立ち上げ時に打合せをする機会が何度かあったが、好きなコメディがチャップリンと聞いて、何てコンサバなのかと思ったのを思い出す。僕らの世代なら、モンティ・パイソンではないのか? あの衝撃はなかったのか??? 彼らが新しい笑いを作ろうとしたことをどう思ったのか?(モンティ・パイソンについてコメントした形跡がないんだよなぁ。あんなの下品だとかいうのでもいいのにさ) と、まぁ、がっかりしたんだけどね。
演者としては華があるんだから、演者に徹して欲しいよ。
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