舞台の水(真実について)
13日に今はなき転形劇場の太田省吾さんの訃報を聞く。銕仙会でやった「小町風伝」や三部作・「水の駅」、「地の駅」、「風の駅」。いずれも僕が学生時代で観ようと思えば観にいけた筈なのに、また掛かると思っているうちに見る機会を逸してしまった。無念。
なので、彼については、彼の著作などの文筆からしか知らない。
「舞台の水」(五柳書院 1993/10)という随筆がある。上梓された直後に僕は入院したので、数週間の入院生活中は何度もこの本を読んだ。
■「舞台の水」
演劇関係の本で、この一冊を挙げるとするとこの本になる。本棚にある演劇関係の本では、直ぐに手に取れる棚に置いている。汚い僕の部屋で、直ぐに在り処が分かるなんて奇跡なのだ。
残念ながら、アマゾンで検索するともう在庫切れなのか、装丁も見られない。古本は手に入るみたいだが。
この本の「真実について 序に代えて」という10ページほどの小論は、表現に関わる方には是非読んでもらいたい。自分の行動について、自分の肉体について、見つめることなく表現している人は今も多いと思う。英語を中学で習って、初めて日本語の文法に気付かされたように、きっと何かを示唆しいてくれると思う。
少しだけ引用してみる。15年後の今読んでも新鮮だ。
☆ ★ ☆
<真>とは、あれかこれかを
よく見分けようとすることだが、<実>はただよく見ようとすること。
<真>は、他(あれ)を排除して、一(これ)を得ることだが、<実>は
あれもこれも、多の受け容れ。
☆ ★ ☆
全体と部分の関係が変わった
つまり、<真>の構成は、全体的な統合に向かう部分の序列の整ったものだが、
そのようなものがどこにあるのか。捏造者だけが手にできるものとなった。
<真>とは、<実>の目で見ると、捏造か思考停止。
☆★☆
本の褌(袴)にある「喜怒哀楽は表現ではない」というコピーがその一端を表している。
今は積読本を抱えているが、また改めて読み直してみよう。
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追記(2007/7/16) 2007/7/16付日経朝刊文化面に、追悼コラム載る。
「舞台の水」からの引用も一読に値する。
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