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2007.07.22

プロとアマとアマチュアリズム2

金融財政事情に元西武・ヤクルト監督の広岡達朗がコラム"続・広岡流「組織論」"を連載しているが、2007.7.23号に「百勝に値する一敗」と題して、日米学生野球でハンカチ王子が最終戦で負けた時の報道のことに触れている。

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「不敗神話に終止符」。大げさな見出しに言葉を失った。
何気なく目にしたテレビのワイドショーではコメンテーターが「将来のある選手を酷使しないでほしい」と訴えていた。これにもあきれた。
(中略)
斎藤は負け試合のあと「体を強くして、力のあるストレートを投げられるようにしたい」と話した。戦う場にいる者は、自分に欠けているものがわかる。斎藤にとってこの敗北は有意義なのだ。
(中略)
世の中には百勝に値するような一敗があるということだ。
負けたことを「不敗神話崩れる」と書いた。伝えたマスコミは結局、勝負の本質を知らないということか。
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「戦う場にいる者=プロ」とそのまま置き換えられる。伝えるものはものの本質について知っていないといけない。単なる大衆迎合では駄目だ。小説上でだが同じ様なことを横山秀夫が「クライマーズ・ハイ」で主人公に言わせていたのを思い出す。日航機墜落事件でテレビレポーターが泣きながら報道するのを「泣くのは遺族の役目だ」と。

上っ面だけ見てしまう癖がつくと、物事の本質に届かなくなる。
プロとアマを考えると、何が問題点なのか、何を求めて、何を突き詰めなくてはいけないかを自分で分かっているか、そうでないかということなのだろう。

そういう見方をすると、一面的な部分を見て、安易に判断することは危険だということだ。勿論、常に本質を見つめていれば、本質を即断出来るとは思うが。

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