ウィキにはない
昨日、俳句のことを書いていて、そう言えば「俳人としての六世万蔵のことはネットに無いかな?」と調べてみた。
ない。ない。ない。
一部、五月書房の「野村万蔵著作集」に触れた個人のサイトはあるが、肝心なのがないなぁ。Wikipediaにも、面打ちのことは触れていても、虚子についていたことなどは全く記載されていない。う~ん。ちょっと位、触れててもいいんじゃない?
まぁ、最近の狂言関係の本には、六世万蔵が俳句を嗜んでいたことは書いてないか。現・東次郎が、蝶々を追いかけて台湾やらあちこちに出かけていることも、載っていないからそんなものかも知れないが。(日経の文化面のコラムに載っていたくらいか?)
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五月書房の「野村万蔵著作集」は面白い本なのだが、もう絶版でなかなか手に入らない。学生の時古本良品を持っていたが、当時付き合っていた子に貸しっ放し。この本だけは返してくれと頼んだんだが、これも遠い遠い昔の話だ。
たまたまYahoo!オークションで出ていたので、衝動的に落札してしまった。
この本の中には、うちの先生の若い頃の話が良く出てくる。末っ子で可愛がられていたんだということがヒシヒシと感じる。また読めるのが楽しみだ。
☆ ★ ☆
で、俳句で何故六世万蔵のことを調べたくなったかというと、10年位前にうちの先生と呑んでいた時に、一句先生が詠んだんだ。この句を知っているか?ってね。うちの親父の句なんだよって。
息子が父親の句を諳んじるのは、傍から見てていいなあと思った覚えがある。
(沢木耕太郎も「無名」(2003年)で、父親の追悼句集を作る話を書いていたが、これもいいなぁと思ったな)
うちの先生は自分では句を詠まないのだろうが、手慰みばかりの印象とは別の一面を見た気がした。あの時は。
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