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2007.10.03

デザイナーがデザインをダメにする

平穏な夕暮れだったので、「怪獣と美術」(@三鷹市美術ギャラリー)へ行く。ウルトラシリーズの美術を手掛けていた成田亨を始めとしてその後の怪獣美術を紹介。単に怪獣を主題としない絵画や彫刻作品を併せて展示してあって、怪獣のデザインが特殊なものじゃなくて、彼らの創作活動の一環だったというのを感じてもらうような企画。

実際、「特撮と怪獣-わが造形美術-」「特撮美術」(ともにフィルムアート社刊)の成田亨の著作を読むと、彼が造形の創作活動に悩み、考え、また同じ様に怪獣のデザインも主題を決めて創造してきたことが伝わってくる。

この展覧会を見るのは、怪獣デザインをしてきた原画を見たいというのではなく、その元になったアイデアを垣間見れたらというもの。

☆ ★ ☆

しかし、今回行ってよかったと思ったのは、都ホテルチェーンの広報誌「みやこさろん」90年秋号のエッセイ。図録にこれが載っていたら買って帰ろうと思ったのだが見当たらず買わなかったが、こんな感じのことが書いてあった。

「私は、人間は進歩しないものだと思っています。進歩しないで、変化してゆくものだと思っています。食を求める為に働き、恋に喜び、失恋に泣き、友と語り、嫌なやつと働き乍ら一人一人は成長していきますが、人類そのものはメソポタミア文明開化以来、同じことを繰り返しています。しかし科学は進歩します。日進月歩。昨日のものは無価値です。科学技術の進歩は生活を変えます。革新的な技術の発達の中で、人間は人間全体の発展進歩だと錯覚して、ボケていくのです。営々として生きる本来の人間の姿を忘れてゆくのです。」

こんな書き出しで始まる。さらに、最近の怪獣のデザインは何でダメなのか?ウルトラマンに角を生やしたり、余計なことをさせているだけで、デザインとしてダメだ。

何故なのか。それは今のデザインは、デザイナーが作っているからだ。商業美術の勉強をしてデザインをしているのだが、それではダメだ。成田のように、美術学校で、造形とは何か。そういうものをとことん突き詰めていくと、自分とは何かというような、根本的なものに行き着き、悩んでいく。そういうことをすることによって、デザインは創造できる。。。というようなことを書いていた。

デザインの根本は何なのかを考えると、自分と向き合わなくてはならないという、一種の哲学が必要になってくるのだろう。

この文章に出会えただけでも、ネット割引で480円は安くお値打ちだった。

☆ ★ ☆

岡本太郎といい、この成田亨といい、思考している芸術家の文章は面白い。絵描きは絵だけで勝負しろとか、役者は舞台だけで表現して、余計なことを話すのは潔くないという意見もある。

が、言葉は、思考を社会の中で共有させる唯一の手段。言葉で無ければ、伝えられないものもあるんだよねぇ。

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Comments

怪獣と美術展僕も先日いってきました
ノスタルジーだけじゃないなにかがありました

あのエッセイの文章はほんとうによかったですね
図録かっちゃったんですが
あの文章を掲載していてほしいと思いました

Posted by: まご | 2007.10.04 13:02

まごも行っていたのか。
やっぱり、図録には掲載されてなかったよね。
成田亨のコレクションのある青森の美術館の図録には載ってるかなぁ。

Posted by: | 2007.10.05 01:07

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