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2009.07.06

頭八咫烏神社由緒史実

週末挨拶に伺った伯父(父の四兄)から、小冊子を譲ってもらう。
「頭八咫烏神社由緒史実」。9年前に亡くなった伯父(二兄)が集めていた研究していた資料。



昭和10年10月8日発行の40ページからなる八咫烏神社の案内書。奥付を見ると「編輯兼発行人 前田慶次」とある。伯父(父の長兄)が高円寺の伯父さんと呼んでいた我が祖父・前田八左衛門の長兄に当たる方。巻頭辞や巻末の八咫烏神社造営協賛会役員名簿を読むに、この冊子は皇紀二千六百年と八咫烏神社が県社に昇格するのを記念して勧進した時に作成したものであろう。

(拡大図)

うちの先祖は神主兼医者だったと亡父からは聞きながらも、その証拠になるようなものを目にしたことがなっかった。証拠については父が末っ子であまり詳しく知らなかったのもあるだろう。証拠になるようなものはないかと、20歳の時に八咫烏神社を訪れてみたのだが、氏子の名の中に祖父八左衛門の名を見つけたのみで、神主の話はうちの親族が自称僭称しているかもしれないなと半信半疑だった。今回、ようやく成る程八咫烏神社の神主の出だったと納得した。

☆ ★ ☆

八咫烏神社造営協賛会役員名簿の特別賛助会員は3人。


(拡大図)

・東京市 津村重舎
・大阪市 小川平助
・奈良市 山田安民(協賛会会長も兼務)

津村重舎はあのツムラ(津村順天堂)の創始者で宇陀郡池上村出身。山田安民もロート製薬の創始者。山田安民は津村重舎の兄。小川平助は恐らく電光将軍と呼ばれた北浜で鳴らした相場師ではないかと思う。

造営協賛会の中心人物だったと思われる前田慶次は、当初薬の卸業をしてその後歯科医になった、と伯父(長兄)から聞いている。津村、山田と同じ宇陀郡池上出身で社会的に大成功し、同じ医薬業界に居たという縁もあって協力をして貰ったのだろう。

☆ ★ ☆

本書の中に神社の由緒などの続いて、五章に八咫烏神社社守神主の沿革とひとつ章立てをしている。
中興の河合喜内忠義(下鴨神社と関係を作った)、河合摂津師與、河合良石に続いて、前田玄伯(※榛原の役場で入手した除籍謄本では「玄珀」。筆者注)、前田元朗、栗野慊三郎の6人を載せる。想像するに、下鴨神社と関係を結んで再興してからは、苦しいながらも寂れることがなかったのだろう。それ以前の資料はおぼつかない模様だ。

前田元朗(前田慶次の父)の項には、彼が医業に中心に生活していたため、社事祭典は村長の栗野源平にお願いしていた記している。お願いしたのか、押し付けたのか。この辺は分からないが、この造営協賛会の幹事の仕事を前田慶次がしているのは、その父の罪滅ぼしなのかなと思えないこともない。


(拡大図)

☆ ★ ☆

伯父から聞いた話はまた別項で記録する予定。

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