「遺言は守った」東次郎から則直への追悼文
2010/4/23に亡くなった山本則直の追悼文が、5/23の毎日新聞朝刊に載っていた。書いているのは学芸部員や評論家でなく、実兄の四世東次郎則寿。幼い頃から一緒に過ごし、今に至るまで狂言の繁栄を求めて共に競い合った兄だからこそ愛情のあるものだった。
父・三世東次郎則重が狂言は基より箸の上げ下ろしまで仕込んだ揚句に、「俺の教えは全て忘れてもいい。だが、兄弟3人、必ず仲良くしろ」というような遺言を遺したそうだ。この遺言話から始まり、ある法事での「泣尼」を髣髴とさせる挿話、「舞台は死に場所だと思え。始めたら最後まで遣り遂げろ」の父の教えを守り抜き、停電で真っ暗になった舞台を平然と続けた小学生の頃の附子の話など。そこには則直が照れ屋だと記されているのだが、いつも舞台では怒っている様な迫力のある芸風だったんだよな。同じ照れ屋のうちの万之介先生とは、違ってね。
先日万之介先生がこぼしていた。新の会を一緒にやっていたけれども、則直はライバルと思っていた、と。それと、3兄弟の中で先代の東次郎さんの芸風を一番受け継いでいたんではないかとも言っていた。大島寛二や則俊の芸を見ていると、先代の芸を見たことはないが肯ける。
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3兄弟仲良くの遺言。野村3兄弟を間近に見ていると、至言だと思う。
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ほんとに、残念だ。寂しい限り。
Comments
もう25年以上前になりましょうか。
宝生能楽堂近くの飲み屋に、
則直さんと当時の万之丞さんがよっぱらって転がり込んできたことがありました。
剛直な舞台からは想像もできない、気さくで饒舌な方のようにお見受けしました。
国立能楽堂の鏡の間で、
装束つけて出番前にリラックスされてたのが、
幕まえに「スイッチオン」、されるのも拝見して
落差にびっくりしたことがありました。
照れ屋、わかるような気がします。
新の会での「那須語」、
鮮やかな描写は今もまぶたに残っています。
残念ですね、本当に。
合掌。
Posted by: 柿の畑主 | 2010.06.02 21:15
>畑主様
今年は天候不順で麦酒の売れ行きが心配ですなぁ。呑んだら気さくそうですよね。以前東次郎を観る会の後で、則俊さんの方が顔を真っ赤にして爆発してたのを目の当たりにしたことがありますが。山本三兄弟で一番インパクトがあるのが、則直さんですもんねぇ。今でも二人大名の通りの者で、カラカラ笑いながら大名二人をいたぶる様子が思い出されます。
新の会。万之介、則直、十郎の3人ともに、時代劇の悪役みたいな人相だと、某広島出身の先輩が言っていましたけど、今から思えば面白い組合せの会ですよね。この手の三種三様の会がないのは寂しい限りです。
Posted by: ぶ | 2010.06.03 23:09