万之介・則直・十郎の新の会
5/31に「「遺言は守った」東次郎から則直への追悼文」とメモを上げたのだが、5月末頃から「毎日新聞・悼む・山本則直」とか「毎日新聞・山本則直」で検索する人がちらほら目にする。ネットをウロウロして原文がないか探している人がいるんだろうと思われる。著作権の関係でネットには原文が上がっていた形跡もないし、多分今も首都圏でのシェアが10%を切っている新聞では、タイピングしているもいないだろう。東次郎さんの追悼文は温かい文章でした。是非、図書館や縮刷版で読んで下さい。個人的にはPDFにしてスクラップしてますけどね。
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柿の畑主・Fさんが、前のエントリで当時の万之丞(現・萬)と則直が水道橋の居酒屋で転り込んで来た話を披露してくれていますが、昭和の末期はこうやって狂言の異流がいろいろワイワイやっていたんですよねぇ。一時期は東次郎家、千五郎家、万蔵家の混合の会も国立能楽堂主催の会以外でも頻繁にあったんですが、今はどうなんでしょう。家毎に縦割りになってしまった気がします。森崎事務所が千五郎家と万作一門のパッケージをしているのと、年一回の又三郎さんところのやるまい会くらいしか思い浮かびません。評論家などの関係者が、もっと企画しなくてはいけないんじゃないですかねぇ。重鎮が年老いて動きが鈍いのなら、若手が何とかしないものでしょうか。
そう考えると、昭和の末までやっていた万之介、則直、十郎の新の会は斬新だったのかも知れません。今ほど狂言はメジャーじゃなく、チケットの捌きも大変だったと思いますが、万蔵家、東次郎家、善竹家の3家を一同に観る会はワクワクしますよね。本当に残念。
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