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2010.11.27

訃報・大龍寺のご住職

五狂連(五大学狂言研究会連絡協議会)時代に毎夏お世話になった信州・北相木村の大龍寺松嶺山荘のご住職・柳澤泉峰さんが去る11/6に82歳で逝去したそうだ。先程喪中欠礼のはがきを見て知る。


今の狂言研の現役学生らは行った事がないだろうが、私が大学生の現役時代(1985-88)の前後数年間は毎夏五狂連の面々と夏合宿を楽しんだものだった。先生が大部屋で寝るのを嫌って、先生と一緒の合宿では使わなかったが、それ以外は毎年行った。

あの尾巣鷹山の裏手にあり、日航機123便事故の翌年に旅の手帳を見ると、取材陣が事故現場を求めて泊まった記録も残っていたっけ。
閑話休題、観光地的なものは何もないない場所。墓地と小川があるだけのお寺。小海駅を降りて、駅前のよろず屋で夜楽しむための花火を買い、村営バスで奥地まで。稽古もしたけど、肝試し(後輩が勝手に驚いて無縁仏を薙ぎ倒したんだよね)や村の盆踊りに行ったり。夜は山入端に稲光が放電してたっけ。呑み過ぎて、下呂ぶちまける奴らも結構いた。

この大龍寺合宿での思い出と言えば、今は某流通会社の社長である青髭の男が1年の時のこと。中央線で続々とメンバーが集合し、甲府・小淵沢・小海と電車を乗り継いで行く旅程。甲府駅を過ぎると彼が居ない。どうも用足しに降りて彼だけが乗り遅れたようなのだ。当時(86年)は携帯電話もポケベルも一般に普及していなかった時代。車中の我々は甲府に一人残った彼には連絡が取れない。小淵沢で待てば、追っかけて来るかと思った居たのだが。。。。。

何と彼は、「長野の大龍寺」しか行き先を覚えていなかったようだ。甲府の駅員さんに「長野の大龍寺はどこですか?」というような、まるで狂言の田舎者を地で行くようなやりとりをしていたそうだ。勿論、甲府の駅員さんは知る由も無い。

☆ ★ ☆

それにしても、懐かしい。卒業後に1度だけOB合宿をしたなぁ。あれは名古屋に居た3つ下の助平の加藤君が参加していたから92年かなぁ。あれからも18年か。。。

合掌。

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Comments

初めての大龍寺の合宿のとき、早朝に朝の勤行でびっくりさせられました。
二日目からは平気で寝てました。
最終日の食事にはお気づかいいただきました。
’70年代から合宿してたと思います。
あほな学生たちを、やさしく見守ってくださいました。
私も合掌させていただきます。

二日酔いの朝飲んだ水が、おいしかったなあ。

Posted by: 柿の畑主 | 2010.11.28 19:09

大龍寺のご住職が亡くなられたとのこと。懐かしい学生時代のことを思い出します。
小淵沢から小海まで遠かったこと。野辺山を過ぎると、かわいいお姉さんたちがすっかりいなくなって。また小海からのバスも遠かった。
毎晩毎晩の宴会、大騒ぎよく和尚さん、奥さん、許してくれたものだと思います。ただ当時大学生だったご子息には眠れないと叱られたことがありましたが。
朝の勤行、覚えてます。二日酔いの頭にはキツかった。おいしかった野辺山牛乳もまた飲みたいなあ。
東大のOBの堀越さんのご縁だと記憶しています。
ということは、10年以上お世話になったはずです。
ご冥福を祈って、
合掌。

Posted by: Kくん | 2010.11.29 22:57

 >先輩の方々

コメント恐縮です。

狂言研=大龍寺でしたよねぇ。
卓球と肝試しと花火、それに毎晩の宴会。
私は酒でつぶれることはありませんでしたが、男も女も結構翔んでましたよねぇ。

Posted by: | 2010.12.01 12:11

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