万之介先生の追悼録
万之介先生の悲報が公になって早や20日。先生を偲ぶ会まであと4週間に迫った。
大まかな枠組みは上がったが、万之介先生が我々弟子のせいで笑われないように、まだまだこれからもやらねばならないこともある。
そう言えば、喪の発表直後に、能評家の村上湛(むらかみたたう)が追悼文を自サイトに寄せている。自サイトでも公表しているのでここで触れても問題ないと思うが、彼は本名・田村良平と言い、私の2つ上。早稲田の観世会に所属していた。歌舞伎をもっぱら見ていたと記憶しているが、狂言も良く見ていて、当時の演者で言うと善竹圭五郎を贔屓にしていたな。私も圭五郎のファンだが、今の万之介先生とは違った中々味のある演者でした。
さて、この追悼文の中で、萬・万作のお家騒動のとき、万之介先生が次兄・万作に付いた理由の与太話も添えられている。「戦時中の空襲下、萬は一目散に防空壕に駆けて行ったが、万作はわざわざ手を引いて逃げてくれた。その恩義に感じ、万之介は次兄に就いたのだ」。
万之介先生は飲んだ時に空襲の話をしていたがあるので、そこまでは本当のこと。ただ、それ以外にも大きな理由があった。今ここでは語らないが。いずれにしても、万作さんと共にし、亡くなる直前まで舞台を勤めたんですよね。
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