野村万之介先生を偲ぶ会(報告8)
2011/2/22の野村万之介先生を偲ぶ会@ホテルフロラシオン青山のボチボチ報告の8回目。(これまでのは、報告1、報告2、報告3、報告4、報告5、報告6、報告7)
亀井師、同級生のお話の披露の後、いよいよ小林責先生(以下責先生)のお話と献杯。
責先生は、今年創部60周年を迎える早稲田狂言研の一期生。中々辛口の話から始まりました。若い頃の先生の芸は「覇気が無い」「もどかしい」と言い、萬・万作の兄二人がスパルタ教育だったのに比べ、万之介先生は三番叟を披いた歳が29歳と大分遅れていたことや父六世万蔵師が可愛がりすぎて、老人の芸を教えてしまったからではないかと思っていたそうです。
それが60歳になった頃、万之介狂言の会が10回目を迎えた頃から、良くなったと感じたそうです。老人の芸が等身大に、実年齢に追いついて来たからなんだと分かったそうです。そんな中、第17回の万之介狂言の会で川上のシテ(アドは万作師)について、凄く良いと感じ手紙を万之介先生に送り、その時の万之介先生の反応が、
「どうだ、分かったか!」
と電話で寄越したとか。
如何にも万之介先生らしい。。。良いねぇ。
それと、シテを喰わないいい狂言をしたという話もされてました。
これが重要なんですよねぇ。狂言を壊さないのがね。
思えば、稽古でもアドがガリガリやると「壊れる」と言うのと同時に、舞台が終わった後は、「今年は辛抱したのだから来年はもっと良い役をやろうな」と言うようなことも仰ってくれてましたねぇ。三兄弟でいつも長袴の主ばかりで、鬱屈していたことが多かったんだと思います。
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偲ぶ会の報告シリーズはもう暫く続きます。
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