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2012.02.20

万之介先生の形見分け

過日、万酔会の中で万之介先生の形見分けをした。
先生のお宅を整理した際に、装束や六義(台本)、高名な先生の色紙などはご親族のもとへ。それ以外の幾つかを弟子たちでということだ。


■「陽生じ天地春となる」は中学の書初めの定番ですね。表装してあった軸は一本。落款もしてあり、表彰もされていたよう。防腐剤の入った袋にしまってあり、何でこの書だけが残されていたのだろうか。溺愛されていたご母堂梅子婦人が大事にしていたのかもしれない。


■使い込んだ衣装鞄とお酒。先生はウィスキー、バーボンなどが専門だったので、日本酒は良い酒でも手付かず。

これらのほかに時計、お猪口、コースター、洋酒、麻雀牌などなど。亡き燿子先生がいいものを集められていたそうだが、時間がなくてごく一部だけここに。麻雀牌は2つ。先生のお宅で諸先輩は何度も卓を囲んだそうだが(私は残念ながらいつも雀荘。お宅では打った事がない)、残された牌はその頃のものではないのではとの弁もあった。

麻雀牌のうち1つは一番麻雀で苛められた先輩のもとへ届けらることとなった。当時はヤキトリが半荘が終わってもチャラないならないで積み上がるルールを採用してて、勝てないととんでもないことになっていた。漫画の切れ端に勝ち負けの点数のメモを残し、次回のお稽古のときに裏の稽古料をお支払いという感じだった。先生もその切れ端をみて、「何だこれは」とニヤニヤしていたとか。私の先生との麻雀の思い出は、「サンマ苦いかしょっぱいか」と鼻歌を歌いながら、大阪名物の三人麻雀を打ったことですかねぇ。明け方まで勝つまで打つんですよね。

さて日本酒。もう10年も前のものだから直ちに廃棄かと思ったが、お酒の所轄も担当した某先輩が封を開けた。古酒の薫がするとみんなで瓶を嗅ぎまわす。続いて、その先輩が飲んでみようと杯にあけて口にする。

「附子だねぇ」。先輩の一人が呟いた。

瓶の封に手で煽いで薫を嗅ぎ、恐る恐る呑んでみる様はまさに「附子」。附子みたいに、飲み干すことは無かったけど。
久保田の万寿、良い酒は品の良い古酒になると言って何杯か飲む。日本酒の古酒は紹興酒みたいになるとかで、そんな感じだったとか。私は臆病者なので、嗅ぎもせず、呑みもせずでした。

☆ ★ ☆

明後日で野村万之介先生を偲ぶ会から丸一年。早いなぁ。震災もあり、あっと言う間です。

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