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2012.06.10

手の内

今年の初め、「佐々木俊尚氏に絡んだ人たち」が本当に恐れるべきもの(アゴラ)の記事であるような出来ごとがあった。

炎上当時は、やっちゃってるな~と傍観。と同時、この記事の文末にあるようなネット上の個人情報に関するリスクをコントロールしないといけないと再認識した。

☆ ★ ☆

ここでの情報の出し具合は、以下の線引きです。

1.今の仕事関係は具体的な企業名、案件名が分からないように。特に検索でヒットしないように注意。
2.狂言関係は、公知の事実となってから公開。万之介先生の談話も物議を醸しそうなのは控える。
3.不在予定の情報は載せない。個人情報も家族の名前と顔写真は分からないように。ただ、愚息の顔は載せる。赤ん坊の顔は変わるからと言うのが理由。実際に2ヶ月前の顔と今じゃ全然違う。動画は、愚息名を連呼しているものはマスキングしてるけど。
4.鬼籍の人は、名前も写真も載せる(大体)。

☆ ★ ☆


1997年5月から狂言と愛馬のWEBサイトを公開していたから、個人情報を晒しているのは15年以上になる。ネットとの付き合いはそれよりも1年以上前のパソコン通信nifty-Serveからで、nifty-ServeのIDは個人情報と直結していたのもあり、自分のWEBサイトに個人情報を出すことにあまり抵抗がなかったのかもしれない。このマイナス要素よりも個人情報を晒してでも現実社会との接点を出すことによってのメリットが大きかった。普段の生活では出会うことの出来ない方々と知り合うことがとても新鮮で、実際に会うためのハードルを低くするのに顔出しの効果があったと思う。加えて、ネット人口の少ない大阪から発信してたから、インパクトはあった。東京から関西入りするという方がいれば、じゃぁ大阪で会いましょうとなり、逆に東京に出張するんで集まりませんかと声掛けをすれば、さっと会合が出来る。その頃はオフばっかり出てた気がする。社会に出て育った地元を離れてから、馬の話、芝居も狂言もあんまりできなかったのもあるかな。

ネットの友達がバンバンと増えていったが、ある時を境にブレーキを踏んだ気がする。1年が5年?と言われるネットの人間関係のスピード。3年ほど経つと、これ以上見知らぬ人とネットだけの知人になるのは許容量越えそうだと感じ始めた。もう現実社会で会わない人とはいいかなという線引きをする友達もチラホラ出て、その気持ちに納得するのだ。

今では、ネットとの関係の折り合いもついて、適度な道具として使うスタンスになった。40過ぎて、実生活もそう疎かに出来なくなっているのもある。15年頃前の付き合いのあった方々も段々とネットの最前線からいなくなり、寂しい気もするが、時の流れとはそういうものだと思う。

mixiとかtwitter、facebookらのSNSにはノメリ込むことないのは、パソコン通信からのネット史の創世時代から今の流れを知っているのもあるし、これらSNSは閉じた社会のツールという前提に違和感を感じているのもある。余所者に自分らのコミュニティーのルールを掻き回されるのが嫌で、SNSに逃げ込むというのも分からないでもないが、インターネットを使ってて閉じた社会でありつづける訳がない。絶対に漏れる。

実際にmixiとfacebookはアカウントを持ってはいるが、知人の情報を知るためだけのもの。山ノ神は何が面白いのか分からないといつもこぼしている。昔トラブった相手が「あなたの友達ですか?」と毎日出てきて、「余計なお世話じゃ!」と激憤していた。私の場合は、余計なお世話の被害は今のところ会っていないけど。

☆ ★ ☆

そんな訳で、ネットとの付き合いもこのブログを細々と続けていくだけ。生存証明みたいなもの。ここを続けていけば、狂言に関心のある人が万酔会に来てくれるし、情報収集している先祖情報もたまにやってくる。

☆ ★ ☆


■おすっ。

愚息が大きくなって、いつかこのサイトを見つける時が来るだろう。その時、椎名誠のお子さんらのように複雑な気分にならないといんだけど。

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