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2012.08.02

好き嫌いは許さん

大阪市長の橋下の文楽への仕打ちを見ていると残念な気持ちになる。
文化への無理解と言うか、好き嫌いで、存在を否定されてしまうサマは、古典芸能だけでなくどこでも見かける。
一番分かりやすいのが、食だろう。食べず嫌いという言葉もあるくらいで、先入観だけで拒絶反応を示す人もいる。
私みたいに、口に入るものは何でも食べる。ロシアの学者が人類の未来は昆虫のタンパク質に頼ることになると論評しているが、そうなっても大丈夫。去年だったか、内山昭一の「楽しい昆虫料理」を笑いながら読んだくらいだからね。

冗談はさておき、歯が生え始めてから再三ここでも触れているが(こことここ)、愚息が食べ物の好き嫌いにならないように特に注意しなくてはと思っている。理由がある。好き嫌いが酷かった亡くなった父みたいになってほしくないからだ。

父は戦争中に食べざるを得なかった冬瓜、薩摩芋、南瓜。理由は分からないが豆や身欠き鰊は見るだけでも激高。仕事でお客さんと入った食堂でニシンそばが出てくると、「こんなもの食えるか!」と店員さんに怒鳴りつけていたそうだ。

小豆が目障りだからと、家でも赤飯は炊いたことがなかったと思う。酢豚も嫌いで、酢豚が好きだった母は、一緒に夕食を摂らないときに子供たちと自分の分だけ仕立てていた。カニ、ブドウ、西瓜も嫌いだったが、これは食べるのが面倒くさいからで、缶詰や種がなければ文句を言っていなかった記憶がある。カニはダメなくせに煮魚は問題ないから、単なる言掛りにしか見えなかったけれども。

今言った赤飯や酢豚などは、外で食べる機会があるからいい。家でしか食べないと思われるものに、嫌いな物があると、もうそこの家で育った子はその食べ物のことが分からなくなる。そう、うちでは栗きんとんと雑煮が物心ついた時から出なかった。栗きんとんは瓶詰があるから、どこかで味見をした経験があるが、お雑煮はない。一度だけお澄ましに角餅と三つ葉が浮いているお椀を食べたことがあったかもしれない。でも、それっきりだ。

お正月の行事は大事な文化なのだから、親として嫌いな物でも膳に並べるくらいはすべきじゃなかったのかと思うのだ。自分一人が嫌いだからって、昔から続くものを一存でぶった切ってよいものだろうか。悪弊は切ってもいいかもしれないが、雑煮は悪弊ではないだろう。違うかな。

☆ ★ ☆

今のところ、愚息は我が胃袋と舌をしっかり引き継いだとみえて、大丈夫そうだ。気懸りは、山ノ神の食の志向が亡父のそれと不思議と何か似通っているんだよねぇ。苦手なものもよろしう頼みます。


■メロンと桃は好きなんだって?贅沢者!

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