代物った如何ほどで
文化に銭勘定は合わないというのが、文化芸術と言われるものに係わっている方の思いだろう。文楽協会に対して大阪市長が取っている仕打ちを見ての反応がそれを物語る。私も文化芸術は経済に馴染まない、儲かるような文化芸術は偽物だと言えるのではないかとと思っている。お金に媚びたものなんて、偽物でしょう?
まぁそれは極端か。文化芸術だけでなく、モノづくりで利益が出ることと言うのは本当はあり得ないのではないかと最近感じている。
材料の原価だけなら兎も角、まともに職人の人件費を積算して市場に出したら、値段なんて付かない。百円ショップの製品を我々が百円で作れるか?と問われれば、絶対に作れない。モノの価値に値段を付ける以前の問題だ。
大量生産の工場製品なら、原価に適当な価値を付けて値付けは出来るかもしれないが、人間がべったりと係わった職人技になれば無理な気がする。
(舞台公演については村上湛氏のこれに詳しい。また、経済効率と藝術・教育も参考に。クラシック音楽では「オーケストラの経営学」(大木裕子)にも台所事情が詳しい。本の中身は今一だったが。また、漫画については、最近話題の佐藤秀峰の漫画貧乏に衝撃の懐具合が書いてある。また医療について言えば、たった5分の診療でも、それまでの医者になるまでの勉強や日頃の研鑽、そして経験がオンされているわけで、その診察時間だけが値付けの根拠になっているわけではない。などなど)※1
先日読んだ「逝きし世の面影」(渡辺京二)に、幕末明治に来日した外国人が子供の玩具を見て、余りに精巧に、そして大人でも耐えうる技術が組み込まれていることに感嘆する箇所があった。その頃の西洋であれば、子供向けの玩具は片手間に作った単純なものであって、その頃の日本の様な玩具を作ろうとすれば、経済的合理性に合わないと言うのだった。何故こんな精巧に作るのかと問われれば、職人だからだと言うことになるのだが…
経済では市場の評価は正しいというけれども、モノの値付けがこう単純ではないのことを考えると、何ともやりきれない。
自動車産業は値崩れしてないから凄いことだと思うが、PC関係はどうなんだ。25年前にHDD1MB=1万だったのに、今じゃ1万で1TBのHDDが買えるのだから。トヨタのカローラなんかは、25年前と余り変わらないのではないか。安さを求める消費者に応えていくうちに、こんなにことになってしまったのか。
値付けから考えると、欲望の赴くままに進んだ資本主義って言うのは破綻してるのですかねぇ。
☆ ★ ☆
ちなみに狂言の「仏師」や「六地蔵」で、スッパ(徒ら者)が田舎者を騙して仏像作りの値段を告げる場面がある。
田舎者「(仏の)代物(だいもつ)は如何ほどか?」(仏像製作費はお幾ら?)
スッパ「万疋でおりゃる」(万疋=百貫です。)※現在の300万円くらい?明智光秀が越前朝倉氏に抱えられていたとき、年俸500貫だったとか。
田舎者「それは余り高じきでござる。もそっと負けてくだされ」(高いです。安くしてくれませんか?)
スッパ「仏に限って負けはない。嫌ならばおかしませ」(仏像に限って値引きはなしです。気に入らなければ別のところへどうぞ)
というやり取りだ。
狂言では田舎者はスッパの言い値で買う契約をするのだが、なかなかこんな殿様商売なんて出来ないですよね。
※1:亡くなった先生が、狂言だけならムニャムニャと言ってましたねぇ。
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