軍歴証明を取ってみた
軍歴簿というものがある。恩給の計算とかに使用しているようなのだが、戦後陸軍は各都道府県、海軍は厚生省が管理をしている。ネットを見ていたらを旧軍人の本人及び三親等までなら請求できるという。まだ伯父たちが健在なうちに祖父の軍歴を調べて、それをもとに話を聞いてみようと思い立った。
祖父の本籍は本郷区根津片町。今の文京区根津二丁目。と言う訳で祖父の軍歴証明書請求の申請先は東京都福祉保健局。電話で照会をすると、旧軍人の本籍地と生年月日、請求者との関係等を聞かれる。伯父に聞いた「陸軍の青島病院に勤務していた」らしいという話をしたところ、散逸している資料もあるので、一旦調べてみるとのこと。
小1時間後、外地に渡航してから内地に戻ってきた時の記録が残っていない。別の役所で調べたうえで、軍歴確認書を作れるか連絡すると言われた。最悪は数行の記録しか分からないのだそうだ。
3週間後、ある程度記録が見つかったとのこと。申請書の手引きを郵送するので、必要書類と400円の手数料を用意して手続して欲しいとの指示がある。
何やかんやで1と月以上掛けて手許に祖父のそれが届いた。出勤前に、都庁に立ち寄って受け取る。
■これが祖父の軍歴確認書(1部分)
二カ所内地から外地への渡航の記録が不詳扱いになっていた。本来であれば、船員管理の旅券等の管理がされているそうだ。担当者は「恐らく青島の部隊だから、上海に上陸、出帆したのではないか」と説明。
質問があれば受け付けてくれそうな顔をしていたので、短刀直入に聞いた。
記事の1行目。大正12年12月1日に、「1年志願軍医生として近衛歩兵第1連隊第6中隊に入営」とあるが、これは「志願兵なのでしょうか?」と。
伯父からは同じ医者の義兄が召集から直ぐに除隊で復員したのに、自分はなかなか除隊できなかったと気に病んでいたという話を聞いたことがある。そんな祖父が志願兵だったとは驚きだったのだ。
すると担当者は、「今でいう幹部候補生で、志願兵と言う訳ではないですよ。昭和7年に廃止になった制度です」(年度は聞き間違えているかもしれない)と答えた。それなら納得。
他の経歴を見ると、伯父からは「青島陸軍病院の副院長」と聞かせれていたが、この確認書では昭和14年は青島陸軍病院伝染病室主任、昭和18年は総務主任だった。
臨時召集で昭和13年7月から徐州喜徳野戦病院に赴任したのが43歳。この直前に父を仕込んだのか。
今この記事を書いていて、愚息と私の年齢差が、父と祖父のそれと同じだと気がついた。
昭和14年生まれの父は、昭和18年に内地に祖父が戻ってくるまで父親の顔を知らずに育ったわけだ。4歳までか… このオジサン、いつ帰るの?って、内地に戻った祖父に向かって言ったそうだ。
ちなみに昭和26年に祖父は急逝しているので、父は4歳から12歳までしか父のことを知らない。
☆ ★ ☆
折りを見て、まだ健在な伯父たちから戦争中の話を聞いておこう。
<追記>
軍歴証明で来られる方が多いので、関連記事を。
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■流れるプールで気ままに浮かぶ愚息。この夏は連休取れなかったけど、プールには良く連れて行ったな。
祖父のことを考えると、油断してはいけないな。
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