同じ日並び
七回忌は先月初めに済ませてしまったが、昨日は亡父の祥月命日。
病院から「今夜が峠」の連絡の後、少したって看護婦さんから「兎に角。急いで!」と電話口で泣いて絶叫していた時から、丸六年なんだ。
日並びが今年と同じで、6年前の明日が通夜だった。丁度今頃は亡父の友人知人関係と連絡を取っていたっけな。
その通夜や葬儀の席で、職場関係先から父の昔話を初めて聞いた。昔の先輩、同僚の語る話は新鮮だった。
仕事では「ダンプ」と呼ばれていた(勢いで押しまくる意味かな)男が、鼾が酷いので社員旅行では離れに寝させられると、寂しいから、鼾は掻かないから頼むから一緒の部屋にしてくれと懇願した話とか。中学受験に反対していた父が、弟が早実に合格したとき相当喜んでいたとか。(早稲田系の学校で野球部の部長をしている父の先輩談)
小学校4年生くらいまでは野球大会やら釣り大会、運動会、BBQなどの会社のレクレーションには連れられ、中間管理職で偉そうにしていた父の姿は覚えているが、オンタイムの様子は皆目わからない。亡父が職場でどんな風なことをしていたのかなんて、殆んど知らないのだから。
2度目の職場を定年後、朝昼晩飲んで暮らし、下らないと言いながらおバカなTV番組を録画して欠かさず見ていた父。遺言も日記を書くこともなく、自分のことは何も語らなかった。結婚当初のアルバムにはキャプションやコメントをマメに書いていた程なのに。
万之介先生の追悼文集の作成のお手伝いをした時や、沢木耕太郎の「無名」を読んだ時、自分の父の追悼本も作って置けばなぁと思った。
今更は無理なのだが。
☆ ★ ☆
倅と遊んでいて、この1年は特に自分が子供の頃の父親のことをふと考えてしまった。何考えて僕ら子供たちと遊んでいたのかって。12歳で祖父を亡くした父は、父親像を全く描けてなかったらしいからだ。父が亡くなってから知ったのだが、長男の私が生まれるときに、長兄に「父親ってどういうものか?父親になる自信が無い」と相談したという。そんな父が、どんな風に考えていたのか。
今生きていれば聞くことが出来るのだがなぁ。いろんな断片を掻き集めて、想像するしかない。
でも、不思議なことに今生きている母がどんな子育てを考えていたのだろうか、とは思わないんだよな。
☆ ★ ☆

■正月のバカ息子

■こんなバカだからウォシュレットでずぶ濡れになって、こんな姿で法事の宴。オシメ取れて下着は不要と油断してた…
軍歴証明を取った祖父の時もそう思ったのだが、近代の歴史を倅と語る機会があれば、お前の先祖がどんな風に生きていたのかと伝えなければと思う。上の写真みたいなバカ息子だが。
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