正真正銘の芸始めの日
今日6月6日は芸始め。謂れには諸説あるが、指を親指から1、2、3と折っていくと、6番目は小指を立てるから「子が立つ」ということが、自分にはしっくりくる。倅が生まれてから、毎年(2012,2013,2015)書いているが、今年の6月6日が将に6歳の6月6日。
■稽古場前にて。
年始に人間国宝・野村万作師から倅の入門の許しを得、3月初めからお稽古を始めている我が親子。私の変な癖が付かないように、先生の指導を受けるまでは真っ新な状態にしていた。
一回目のお稽古の時、「子供の稽古、発声は大人より大変なんだ」と先生からイキナリジャブが飛んできた。ちょっと、次回のお稽古までちゃんと見ないと拙いなと思っていたら、翌週のとある宴席で「親次第」と言われて放任するわけにも行かなくなった。
二回目は、助手付でお稽古。助手のI師には「よく集中して出来ました」とお褒めの言葉を貰うも、親としては冷や汗のし通し。三回目の後半以降から立稽古。先生の面前で大欠伸をしたり、乱暴な台詞の発声で、更なる冷や汗続出。
うちは夫婦ともに子供には無理に文字を教えてないという教育方針。公文(あ~、萬斎師、すまんのう)やとらじろうを遠ざけているのもあり、まだ名前も書けないし、字も読めないチビ。文字通りの口伝えでの稽古。
台詞稽古の初っ端から、台詞を覚えさせるんだよ。家の子であれば字が読めなくても、普段から父や祖父、兄らの姿を見て、イメージが掴めるだろう。
如何せん、うちは普通の家。自分の足袋を誂えたときは鼻血を出さばかりの興奮をし、同世代の他の子よりも狂言は好きだとは思うが。字が読めない幼児を仕込む壁は高い。「ギョイナサルルトオリ、コト、チョウジタギデゴザル」。漢字で書くと「御意なさるる通り、事、長じた儀で御座る」。字が読めてもチンプンカンプンな言葉を覚えさせるのは一仕事だ。
奥の手のビデオや動画を見せるという手もあるが、それこそ変な癖がついても困るし、先生に「ビデオではコレコレでした!」なんて口答えされた日には目も当てられない。チビには先生の凄さなんて、(今は)全く分からないのだから。
しかも、集中力は三十分まで。週末は勿論、保育園への登園の十数分とたまにある平日の入浴時間を使いながら、日々時間を作って稽古するしかない。今のところ父親の真似っこが大好きとは言え、狂言嫌いにならないように、もっと狂言が大好きになるように、褒めたり遊んだりの毎日だ。
☆ ★ ☆
普通の家で狂言嫌いにさせずに、稽古を続けるというのは至難の技だと思う。週末の自主稽古を近所の集会所や公民館でやるのだが、遂に先週は泣かせてしまった。早く遊びたいのもあるし、間違える度にやり直しをさせるので、嫌になってしまったんだろう。
■和室の集会所で稽古。
■晴れた日は、公園で遊びたいよねぇ。
それでも後に残らない性格がチビの良いところで、翌日もちゃんとお稽古して、間違える箇所も段々減ってきたが…
■市内の公民館の広間。只で使えるのが有難い。舞台があって、運足の稽古にはもってこい。
■こんな調子なんだな…
☆ ★ ☆
この稽古をするまでは、「倅は物覚えがいいかな」「筋が良いと認められれば、靱猿の小猿役に抜擢もあるか?」とバカ親気分でいたのが、大間違いだと分かった3か月だった。高い音も出せないし、正座も猫背。あと4か月で、ものになるといいのだが。
こんなことを書いていると、親子狂言が自分で自分の首を絞めている感じに思えるかもしれないが、こういう基本の狂言を家の子で育った先生がどのようにお稽古を付けてくれるのか?と言う点が非常に気になっていたのも正直な気持ち。亡師より先生は子供にも厳しいらしいと耳にしていたので、思ったより優しく指導をしていただいて恐縮しているところでもある。稽古が終わってから雑談で「今保育園は入るのには大変なんでしょ?」という話から、倅には「何して遊ぶの?」とか話しかけていただく。4歳児の倅は今自分が関心を持っていることで返答するので、全然関係ない「新しい靴を買ってもらったんだ!」とか「これからホテルに行くんだ」とか頓珍漢な会話になってしまっているのだが…
☆ ★ ☆
ああ、今週末、六回目の師範稽古が待っている。
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