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2016.07.18

台湾じゃなく蘭台だった

昨年亡父の長兄も鬼籍に入った。従兄には遺品や写真を整理する時に、祖父の写真や処分するつもりの掛け軸などがあったら譲って欲しいと頼んでいた。

出てきた祖父の写真が二葉。1枚は医者になりたての頃と言われる笑った普段撮りのもの。2年前のMBSの軍歴証明の取材時に手許にあった唯一の写真は、もっと親戚の伯父さんぽいものだったから、正反対のイメージだ。ただ、軽口をバンバン言う人で、思想はリベラル。本家が家長とそれ以外で大きく区別していたのに反発して、息子らにも平等に「○○さん」と言っていたほどである。


■これがその写真(23、4の頃か)


■我が家にある唯一の写真

先日の法事で見せてもらったのは、亡くなった伯父が誕生した時の写真。


■中央が祖父母。前列左から祖父の母、父、祖母の父、母。後列左から祖母の弟、祖母、伯父(父の長兄)、祖父、祖母の叔母。撮影場所は恐らく根津片町の前田医院の庭先か。

お宮参り後の写真であれば、昭和2年の暮れか。末っ子だった祖父を可愛がっていた祖父の母までが奈良榛原から上京している。父方の高祖母の写真は初めて見る。ちょび髭を生やし、ちょっと厳めしい顔をしている祖父(27)。今から思えば、大正13年暮れに現役満期になって、昭和13年の臨時招集の応召までの14年間の束の間の平和だった頃なのだ。

☆ ★ ☆

この伯父が生まれた時、木製の額を祖父が知人から貰ったという。祖父が「この額だけは絶対に売るな」と言っていたそうだ。
誰の書なのかと聞くと、伯父の話では「台湾の知人」と言う、従兄もそう聞いていた。従兄が念のため鑑定に出したところ、無名の書だと言われたそうだ。

処分するなら譲って欲しいと言っていたので、昨年暮れに引き取ってきた。


■今は我が家の玄関に掛けている。


「春風到和」。落款に「寿」とあって、しかもこの「和」の字が伯父の名前の一部で、きっとそれを織り込んでの書なのだろう。

さて、この額の作者だが、「蘭台秋」とある。調べると二世・中村蘭台(秋作)のようだ。篆書の大家で、昭和天皇の雅印や横山大観の刻印を作っていたという。

初世蘭台と区別するために、「秋」の字を付けていたそうだ。根津片町のそばに、中村蘭台の墓もあるということは、きっと蘭台も近所に住まわれていたからの縁なのか、あるいは祖父の祖父・日高宏雲が書家だったというから、その縁だったのか。詳細は分らない。

従兄は本当にまともな鑑定に出したのかなぁ。まぁ、お蔭ですんなりと譲って貰えたのだが…

☆ ★ ☆

軍歴証明と言えば、最近は「軍歴証明の見方・読み方・とり方」(栗須章充著/日本法令)という本が出て、読んでみた。私の知りたかった軍医関連の情報が無く、がっかりした。

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