震災日記

2016.01.25

今中先生の講演

先週末、地元の公民館市民企画事業で熊取六人衆の今中哲二氏の講演「放射能汚染と向き合うための基礎知識」を一家三人揃って聞きに行く。1週前に、たまたま講演会のチラシを図書館で見つけたのがきっかけ。3・11直後は、この手の講演会についてはチェックしていたと思うが、もう5年にもなろうというと、脇が甘くなってきたのかもなぁ。

今の東京の汚染状態のことも聞けると思って臨んだ。

☆ ★ ☆

・飯館村のいま
・放射能、放射線、核分裂、福島事故
・日本も、放射能汚染と向かい合う時代になった
・汚染にともなう被曝と自然界の被曝、医療被曝

というテーマで話された。元素周期表をみんなに配って、放射線、放射能、核分裂についてのおさらいにかなりの時間を掛けていた。1時間20分のうち、50分かな。あとは駆け足。

飯館村の話は、除染に兆単位の資金が投下されて、ゼネコンに還流していることを嘆き、それだけの資金は「日本在住民すべてに被曝量評価を行い、しかるべき健康追跡調査を国の責任で行うべき」というもの。
行政の意志決定や政策実行に係る人々(=役人、政治家)に間違いや不作為があった場合には、ヒアリングを行い、個人責任を問うシステムが必要とまで言う。

全くその通りで、総括できない今の日本の仕組みがまた同じ間違いを起こしかねないと思う。原発だけでなく、戦争もだが。

山の神は本講演を聞くまでは、今中先生の立ち位置を六人衆の中で大分政権寄りと思っていたようだが、この日の講演を聞いて勘違いだったと悟ったようだ。

☆ ★ ☆

本講演会で驚いたのは、若い世代の聴講が少なかったこと。爺さんばかり。何でなんだ?我が家が一番若い部類だったかもしれない。20代、30代の方々こそが知らなくてはいけないのではないのか。 学生も居なかった感じがする。怒っているのは、爺さんばかりなのか… まぁ、うちも1週前にこのイベントに気が付いたくらいだったことを考えると、告知不足なのか。

この辺のところは今中先生はどう感じているのだろう。

カンパと合わせて、未読だった先生の著作「低線量放射線被曝――チェルノブイリから福島へ (叢書 震災と社会)」(岩波書店)を買い、サインもして貰った。

山の神の妹と先生のご子息が大学のサークルの同期だったんだねぇ。不思議な縁だ。

☆ ★ ☆

もう一つ驚いたのは、今福島市内では「ものを言うな」という圧力があるということ。
これも嫌な時勢になったのか…

☆ ★ ☆

東京は大丈夫だと思うが、心配なのは水産関係だな。

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2015.10.08

ああ、出てしまったか

今年もハゼ釣りのシーズンになったら、倅と出掛けようと思っていた。昨年は狂言の発表会万乃会(万酔会)が9月のお彼岸。10月はフリーだったので、3回も釣りに出掛けられた

今年は10月18日。野暮用などあって、今年天気が良ければ行くとしたら体育の日三連休かなぁ、と夏から算段していた。倅も4歳になって、カタツムリも自分で触れるようになって、昨年より釣りを楽しんでくれるんじゃないかと思っていた。

そしたら、先月の鬼怒川が氾濫した豪雨。震災以来一度も開いていない江戸川放水路の水門。開いちゃうんじゃないかと、ハゼの釣果の調査ついでに毎晩船宿のサイトを覗いていたら、開きました。2日間も。水害の方はお見舞い申し上げますが、放射能に汚染されていない江戸川放水路のハゼや三番瀬の浅蜊。やられちゃったねぇ。

東京湾奥魚介類調査をしているR.I.Laさん。緊急調査をしないのかとヤキモキしていたら、今月初めに調査の状況をUPしていました。有難い。


検体量は約1kg、1リットルマリネリで800分の測定。

結果は、Cs137が下限値0.888Bq/kgで、1.088Bq/kg検出。

Cs134は下限値1.67Bq/kgで検出下限以下でした。

1ベクレル程度とは言え、今回初めて江戸川放水路のハゼで放射性セシウムを検出しました。
 
 ~ 江戸川放水路のハゼ緊急調査 (2015/10/03)

1ベクレルでも出るのなら、ハゼは食べさせないという山ノ神。
生き物のことを釣りで身近に感じ取れるから、倅には釣りはさせたい私。
子どもでも簡単に釣りやすいから、ハゼが一番なのだが、江戸川放水路がアウトとなると、関東では厳しいかな。
今秋の休日はスケジュールもつまっているから、諦めるか…
天ぷらする前にワタ出してしまうから大丈夫だと思うのだが、汚れているのを分かってて食べさせる訳にはいかないと言う山ノ神に気圧されてしまう。

ハゼは1年魚。孵化後、来春の調査の結果が怖いな。流砂が守っててくれないかな。

☆ ★ ☆


■箸が大分上手になった倅。箸が上手な子は、魚好き多いでしょ。倅も鮪の刺身が大好きなんだな。


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2011.05.12

実の子に「おっちゃん、今度何時来るのと言われる恐れ」

気が付けば震災から2ヶ月経ちました。バタバタしてて約1と月振りの更新。この間は、いろいろ出てくる不気味な放射線数値をみて、今の汚染が3/15~22に由来すると言うのを知り、もっと早く疎開させるべきだったとも思う日々。3月末は、230キロ以上も福島第一原発から離れている東京はリスクは少ないのではと思っていた。が、いろいろお勉強をすると、楽観視出来ないことが分かる。

特に内部被曝。甲状腺癌だけじゃなく、脳もやられるんだな。20年後に発病するとして、自分自身は良いが次世代は拙い。
そう考えると、空気中浮遊の放射線量よりも、水と食料の対処に頭が痛い。

効果の程はどうなのかと思いつつも、4/28付の日本放射線安全管理学会放射性沃素安全対策アドホック委員会の中間報告書をマキーノ先生のところで知って、倉庫に眠っていたブリタを出動させた。弟に奨められていたけど、メンドクサイから使ってなかったんだよね。慌ててカートリッジも発注。日本仕様と非日本仕様でカートリッジの成分が違うと言うのも初めて知った。今回自分用のはカナダ製のを取り寄せたので、銀イオン殺菌成分はない。実家用のは銀イオン対応。

育児中のバイト嬢に聞いたら、ご飯を研ぐのもミネラルウオーターを使っているとか。鍋にも当然使っていて、しゃぶしゃぶに使うと後の出し汁を捨てるのが悲しいとこぼしていた。そんな訳で、この中間報告書を周りに紹介。早速ブリタを発注してたな~。

山の神が疎開した関西が「水食料パニック」に反応薄というのは分かるが、関東在住のバイト嬢らのママ友らの反応が薄いのには驚く。関心がないのか、諦観なのか。3月中に出席していた山の神の母親学級でも、神経質になっている人が少なかったと言うから、そんなものなのかも知れない。

☆ ★ ☆

単身生活復帰も早や5週。これが何時まで続くのか。里帰り出産した後、お宮参りしようが、年内は関東に戻すのは難しいかな。1年で済めば御の字、もしかしたら中学校に上がるまで別居かも知れん。その間、セイゼイ月1の面会で、実の子には東京の伯父さんと思われてしまうなぁ。

山の神が恐れているのが、義父をお父さん、義母をお母さん、山の神を○○(本名)、私を「にいさん」(山の神家ではそう呼ばれてます)と子供が言うこと。十分あり得る。我が亡父がそうだのだ。青島の陸軍病院に勤務していた祖父と初めて会ったのが5歳になってから。終戦後に「この伯父さん明日も来るの?」って兄達に聞いていたそうだ。歴史は繰り返すのか。。。

☆ ★ ☆

私が生まれる前に、亡父は長兄に「父親ってどういうものか?」と相談していたと言う。父親になる不安を母にも黙っていたとか。震災で被災した方々のことを思えば、贅沢な心配だな。

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2011.04.13

原発事故に見るサンダーバードと科学特捜隊

原発事故の政府の泥縄の対応を見ていると、ウルトラマンなどの特撮映画を見ている気分になる。
ヘリによる蝉のションベン作戦。届かないホースの放水。大量放水すればその水がどこに流れるのかわかっているのにダダ漏れさせた汚染水の行方。おがくずと新聞紙による汚染水穴塞ぎ作戦等等。二の矢、三の矢が全く用意されていないことに、国民は何度絶望したことか。この国の指導者は何も考えてないのじゃないのか?と理解した。

普通ならば、調査、仮説、実践、検証の流れで対処すべきものを、調査もせずにイキナリ実践だもんねぇ。これって、何処かで見たことがあると思えば、冒頭に上げた「日本」の特撮映画の科学特捜隊とか地球防衛軍のそれ。

1.怪獣がどこそこに出現した!
2.●●隊、出動!
3.攻撃開始!
4.効果なし。ああああ。
5.ヒーロー登場で、怪獣退治!
6.やった!目出度し目出度し。

こんな流れなんだよね。

これが同じSFもののドラマでも、サンダーバードであれば、

1.問題発生!
2.まずサンダーバード1号などが現場に急行して調査。
3.その上で、対応策を準備してサンダーバード2号が対応に!
4.無事解決!

となるんですよね。

実際、今回の原発対応は、米軍はまず無人偵察機「グローバルホーク」を投入。日本国政府は何をやっているんだか。。。。

☆ ★ ☆

サンダーバードに見る欧米と日本の違いについては、どこかのサイトにも触れられていた記憶があるんだけど、どこだったかなぁ。

ウィキペディアを読むと、サンダーバードの各マシンは原子力推進システムを使ってんだな。

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2011.04.08

実家の地震対策

巨大地震直後にPHSで母親に電話。必死になって居間の茶箪笥を押さえたと言っていたが、その後ちゃんと地震対策をしたのか?と数日後に聞いてみた。その答えがこれだ(下図)。

襖2枚と茶箪笥を自転車の荷台用のロープでクルクル捲き。襖を固定してしまったので、台所との間は仕切ることが出来なくなった。実家は暖房が炬燵のみ、夏も冷房は殆どしないので、空調が効かなくなっても困らないんだな。

最初、何で家具を固定するのに自転車のロープを使うのかチンプンカンプンだった。実物を見て氷解した。戸建住宅で、天井板も薄いと、家具固定用のつっかえ棒をしたとしても、天井を突き破って穴を開けるだけだしね。

昨夜の大きな余震の時の効果は如何にと尋ねると、勿論効果覿面との答えがあった。戦中生まれ世代の面目躍如の「有りもので工夫」ですね。

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2011.04.07

クロージング

巨大地震から1ヶ月。東京・日本橋や八重洲の桜が満開。だが、春爛漫の気分になれない。

菅内閣の施策に絶望を感じている毎日。お前が言うなと思いつつも竹中平蔵の菅内閣評「子供のサッカー」というのは頷けてしまう。リーダーは数歩先まで見越して行動をしなけばならないのに、半歩先さえも見越していない。クロージングを全く想定していない。数ヶ月、数年のビジョンさえ提示出来ないのに、未来の日本を描けるのかね。民主党にやらせてみるかと思ったのが、失敗だったと多くの人が後悔していると思う。私もその一人だ。

大前研一のBBTを見てて思うのだが、これほど的確にしかも説得力あるビジョンを見せてもらうと、何で今の政権はこういうことを国民に説明しないのかとがっかりする。菅首相も総理でなければ出来ない仕事をしていないんだよねぇ。(例えばこういうこと)何をするにもパフォーマンスにしか見えない。それと責任は自分で取るから行動するというのが見えてこない。捨て身で被害を食い止めようとしている作業員たちに、何の労いもなかったのではないか? 国民は見ている。感じている。戦争時の大本営の悪夢を70年後に見ることになるとは。政府発表の情報が信用されていない。「直ちには影響が無い」=「後から影響が出る」という風にとれる、アリバイ的な役人特有の言い訳文言。マイナス文言をちゃんと報告した上で、方向性を示して欲しい。

村上龍のJMMで「医療崩壊」の小松秀樹氏が寄稿。官邸がパンクして「仙谷氏は、中央を通すと滞るから、個人で動いて既成事実を作って欲しいと悲鳴をあげた」という話を披露していた。結局、こういうことなんだ。情報整理が出来なくて、目の前の火の粉を避けるのに精一杯なんだ。

同情的に見れば、自民党政権時代の尻拭いをしているという面もあるが、政権交代とはそういうもの。

☆ ★ ☆

一方、この難局に対して、知識人たちも知恵を絞り始めてきて心強い。

・環境エネルギー政策研究所飯田哲也所長の提言「3.11後の原子力・エネルギー政策の方向性~二度と悲劇を繰り返さないための6戦略~」。これも説得力がある。本来ならこういう提言を政権が発表すべき。

・化学工学会 大震災による東日本の電力不足に関する緊急提言 短期的には電力需要の時空間シフトが必要不可欠
 1)電力需要の時空間シフト
 2)電力需要の詳細データの開示
 3)電力供給中期ビジョンの提示 

それぞれに具体的な方策が示されていて、納得できる。日頃の学究の成果をタイムリーに発表できるというのは、大切なことだ。

これに反対に残念なのは、日本気象学会の通達。原子力のSPEEDIの情報非開示といい、これらの学者は何を血迷っているのか。。。。

☆ ★ ☆

学問を少しだけ舐めたことの利点は、情報の背景について考察し、取捨出来ること。ゼロリスクはありえないと分かっているつもり。

原発も積極的に受け入れる考えではなかったが、今回の事故を通して考えてみると、如何に普段電力について、エネルギーについて無関心だったかという一点に尽きる。妻も同意してたが、何も考えていなかったということだ。原発がどうして日本で作られるようになったのかも、この事故をきっかけにして勉強し、あの第五福竜丸事件で共産化しそうな日本に楔を打つために「毒を持って毒を制する」と読売新聞・日本テレビが尽力してきたこと、つい最近知った。(動画原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書)

原発の仕組みも、火力発電と同じような熱効率なのだということも今頃分かった。それまでは、核分裂時に電力を発生さているのかと思っていたのだ。ワットの蒸気機関の仕組みと変わらないなんて。。。。

☆ ★ ☆

とまぁ、偉そうなことグダグダいってますが、自分自身は何もしてません。恥ずかしい。その上、被災地で苦しんでいる方や福島第一原発で捨て身の作業をしている方々には申し訳ないのですが、遅ればせながら身重の妻を疎開させました。日本国内、どこに行っても安全なところなんてないのですが。。。。 これまた、疎開先でもいろいろあるもんですなぁ。。。。

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2011.03.24

疎開問答

明日で巨大地震発生後2週間。この間、疎開派の山の神と毎日激論。
福島第一原発の状況、継続する余震、計画停電とそれに伴う交通機関の混乱。被災された方のことを考えると、叱責されるでしょうが、頑丈な私でもぐったりです。

山の神には彼女の実家の生駒へ先発して疎開するように奨めているのだが、私と私の母を置いては疎開できないと抵抗。我が事務所の女性陣にこぼすと「何て優しいの。私ならトットと疎開しちゃうわよ」と冷やかされている有様。

受け入れ先の生駒の実家は、あんまりピンと来ない模様。放射能降ってんねぇ、水とか大変ねぇと他人事で、離れているとこちらの右往左往振りが分からないのでしょう。阪神大震災のときは、逆に関東人が震災見学みたいな感じでしたからねぇ。お互い様ですかねぇ。

☆ ★ ☆

さて、この1週間、疎開すべきか、どうするか、いろいろとネットで調査。中々山の神は、原発・放射能の安心な論調には納得しないのだよねぇ。これは御用学者・原発ムラの意見でしょと言ってね。

私がよく覗いている科学者の東京からの疎開の妥当性について@「脇見運転」(酔漢さん)

彼の場合は、東京に生活の基盤が無いのなら移住すべきとのこと。しかも首都圏は没落するとまで言っている。没落の部分は承服しないが、前半の考察には頷ける。


☆ ★ ☆


閑話休題、後日のためのメモ。


まず津波の怖さ。

・失敗学で有名な畑村洋太郎『だから失敗は起こる』第4回(知るを楽しむ「この人この世界。」(2006年放送))

「高き住居は児孫に和楽
想え惨禍の大津波
此処より下に家を建てるな」

の碑が泣いている。。。。

三陸の津波後に建てられる石碑類について、NHKの2006年番組から聞き書き
このエントリも読ませるし、石碑も見に行きたいところ。


寺田寅彦から「津浪と人間
小爆発二件」(”ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。○○の○○○○に対するのでも△△の△△△△△に対するのでも、やはりそんな気がする。”と寺田が述べる)


報道特集  東京放送大震災を生きぬく (2011/3/19 放送)

東北放送 武田弘克 記者 のドキュメント。必見。


☆ ★ ☆

次に原発について。この首都圏の混乱振りは、SF映画を見るよう。山の神は、原発をメドゥーサに振り回される人間たちと言うし、私はウルトラマンの居ない地球防衛軍や科学特捜隊と感じています。あの「セミのしょんべん作戦」で絶望した日本人は数知れないでしょう。。。。

藤林徹(元東芝原子炉設計部長)のレポート
上記レポートについての考察。村上龍のJMMより紹介の環境エネルギー政策研究所所長:飯田哲也さんのレポート

2011年3月11日の東北・北関東における大震に際して(マクロ経済学者・齊藤誠)
で、原発の経済面から見た指摘でハッとする。


そして、放射能汚染について。

NILUの放射能の飛散シミュレーション

放射能モニタリングポスト

山下俊一氏・高村昇氏「放射線と私たちの健康との関係」講演会@福島(2011年3月21日)

山下俊一氏・高村昇氏「放射線と私たちの健康との関係」講演会@福島(2011年3月21日)質疑応答


☆★☆
おまけ。NYの近くにこんな原発があったんだ。。。。

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2011.03.16

ご飯と胡麻塩とゼリーの給食

今日は震災5日後、計画停電3日目。偲ぶ会の報告は一時措いといて、暫く震災日記を残します。

今朝(3/16)は鉄道も土日ダイヤを組んで大分まともに運行。幸い併走する鉄道会社も運行しているので、5日振りに電車で通勤することにした。と言うのも、月曜(3/14)は、7時過ぎに近所の六郷土手駅の改札を通るも全く電車が来る気配なし。蒲田以南はJRが運行していないせいで、神奈川の乗客を全て京急が受け持った形になっていた模様。こりゃ、乗れないと思って、急いでチャリ通に切り替えたのだ。この月曜日は15時半に京急が帰宅用(南行)の電車の運行をストップしてしまったので、結果的にチャリでの通勤は正解だった。

火曜(3/15)も都営浅草線との連携をしていないと聞いていたので、チャリ通勤。月曜、火曜と、品川駅から泉岳寺までの1駅区間、第一京浜を歩いて乗り継いで歩くビジネスマンの蟻のような行列を目の当たりにした。これでは乗っても地獄だなぁ。

そして今日、水曜日は漸くまともな運行との報道。Twitterや2chなどネットをチェックし、日本橋までの片道18キロを徒歩と自転車で5日間3往復半してちょっとバテた体を休ませた。

☆ ★ ☆

そんな訳で今日辺りから出社されている方も多くなった。隣の事務所の女性もその一人。金曜日に事務所に居残った彼女。漸く千葉の八千代から出陣。様子を聞くと、中々千葉でも被害は大きかった。

今日は復旧しているが、ガスが止まっていたり、停電も続いたりとか。その上、駅前のスーパーは配水管系が破損して、震災後は営業しておらず、買い物難民だったとか。お米がないと半泣きの様相。

そして更に、この「ご飯と胡麻塩とゼリーの給食」という話。2人の小学生が通う小学校。月曜日の朝、食器洗い機が故障したために食器を用意出来そうも無いとの連絡。各自食器を持って登校して欲しいとのことだった。実際には食器は用意できたらしいのだが、まともな献立は組めず。「ご飯と胡麻塩とゼリー」の3品のみの給食になったんだそうだ。翌日からは給食の提供を諦め、午後の授業は中止となっているんだそうだ。東京まで小1時間の地で、この有様。

阪神大震災のときより、酷い状況ではないか。。。。

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2011.03.12

震災から一夜明けて

3/11の東日本大震災から一夜明けた今日、被害の甚大さを痛感します。

95年の阪神大震災を経験していますが、今回の地震は怖かった。うちの事務所は日本橋の結構頑丈なビルの6階なのですが、入居以来初めて机の下に潜り込みました。バイト嬢も隣のオフィスの女性も怖がってました。私でも今回はダメかもと覚悟したくらいですしね。幸い事務所内は本棚の本が落ちるぐらいの被害で済みましたが、12日現在エレベータは停止中です。来週中に直れば御の字でしょうねぇ。

地震直後一階の管理人さんと話したところ、オーナーの主要ビル(オーナーは関西系。世界でもトップシェアの上場企業の東京支社)ですから、相当良い部材で建てているビルとのこと。ビルの中は安心とは言え、外へ出て様子を確認。


■地震に驚いて大勢の人が道に出てきた様。中央の分離帯で座り込む人もいる。

いち早くヘルメットを被って、ビルのガラスを避けるよう誘導している方々もいた。


■16時半頃から、歩いて帰宅し始める人の波。17時過ぎからはドンドン増えていった。

この交差点は、東は東陽町方面、西は大手町、南は銀座へと交わる要衝。東西線も浅草線も動き始めそうになく、歩いて帰ることを覚悟したのだろう。

こちらも夕方には電車が動くだろうと思って、15時半にTXを使って通っているバイト嬢を早めに引き上げさせます。小さい子が居るので、会社に泊まらせる訳にもいかないということもありました。しかし、この判断が後々まで誤った判断だったかと、後悔しました。今回は運良く秋葉原で働いているママ友と落ち合えて、ママ友の旦那さんがこれまた偶然車で近くにいて迎えに来てくれましたので、そこから守谷方面までの足を確保したとの連絡。この連絡が20時。4時間以上も秋葉原で足止めを食らっていたのです。

この連絡を受けた時、こちらは日本橋を18時前に撤収して2時間。丁度、旧東海道北品川宿を越え、青物横丁辺りを歩いていました。このまま秋葉原に一人残っているのなら、事務所に戻って貰って一夜を明かしてもらった方がいいのではと、連絡を何度か試みましたが、PHSから携帯には通話出来ず。メールも受信されていなかった模様。悶々としながら歩いていたので、この連絡で一つ肩の荷が下りました。

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肩の荷と言えば、自分自身の撤収の判断の時も逡巡。一人だけであれば気楽に撤収できるのですが、隣の事務所の女性が千葉の遠隔地在住。歩いて帰れる場所でなく、泊まらざるを得ない状況。彼女一人を残して行ってしまっていいものか悩みました。妻も実家の母親の無事を確認こそしていましたが、身重の妻と離れて一夜を過ごすのは拙いと思い、一人撤収を選択。隣の事務所の女性は強い人だからと心に言い聞かせて、東海道を南下しました。後で状況を確認すると、父君が事務所に戻ってきたようで親娘で一夜を明かしたそうです。

これまた偶然が良い方の目を出してくれました。

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いつもならチャリンコで1時間18.5キロの道が、昨夜は徒歩4時間。初詣の参詣客並みの人込みで、遅々として進まなかった。銀座、新橋、浜松町(大門)、田町、品川。この辺りまでは、上下双方の徒歩帰宅の人の連なり。まさか、非常時マップを使う時が来るとは思わなかったのではないでしょうか。地図を見ながら歩いている方も多かった。それから、ヘルメットを被っている人もよく見掛けた。オフィスに常備している会社が多いんですね。

人の波は結局六郷橋まで続きました。私は22時には到着しましたが、25時過ぎても多くの人が歩いていました。

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■新八つ山橋の京急の踏切に、乗り捨てられた電車。

うちの住まいの前にある六郷の鉄橋。JRの車両も乗り捨てられてました。

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私はPHS(willcom)ユーザー。携帯や固定に比べて、メールも通話も繋がった方ではなかったか。妻はdocomoだったが、メールも見られず。携帯が使えないので、道々の公衆電話に長い列がありました。こういう時には公衆電話は要りますね。

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2011.03.11

地震お見舞い申し上げます

地震で被災された方々に深く御見舞い申し上げます。

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