めーふく
先々週、「冥福を祈る」は誤用だというツイッターを見つけて、思わず反応してしまった。
リツイートしたように、NTTの弔電文例の1/3くらいは、誤用とされるもの。
三省堂の大辞林も「冥福」の使用例として「~を祈る」を使っているね。
実際のところ、小川一乗(元大谷大学学長)氏のコラム「生活の中の仏教用語 - [173] ”冥福”」を読むのが一番参考になると思う。
先々週、「冥福を祈る」は誤用だというツイッターを見つけて、思わず反応してしまった。
リツイートしたように、NTTの弔電文例の1/3くらいは、誤用とされるもの。
三省堂の大辞林も「冥福」の使用例として「~を祈る」を使っているね。
実際のところ、小川一乗(元大谷大学学長)氏のコラム「生活の中の仏教用語 - [173] ”冥福”」を読むのが一番参考になると思う。
毎月投句している前の職場の俳句会。今月の兼題の締め切りが早い。何とか投句。
句会報のコラムの当番だった8月は互選で坊主。18年間で2度目だ。あひゃひゃ。
打って変わって、先月は
気を付けをして芋虫の雨宿り
で、天を3名の方から頂戴しました。多謝。
■雨中のアンパンマンショー@生駒山上。バイキンマンとご機嫌やな。
いつも見ているサイトを読んでて、目が釘付けとなった。
連れションって、男がするものなの?
えええええ。連れションって女がするものだと思っていたからだ。
飲み会やイベントで、大抵仲間内連れ添って憚りへ行く姿をみていたから。
ネットで検索すると現代では連れション=女性のようなのだが、ネットの俗語辞典では「男性に見られる」とまで書かれている。う~ん、藪や塀に並んで立ちションするガキのイメージなのかなぁ。
連れション(連れ小便)の初めは、小田原攻めの秀吉・家康の関東仕置きと言われるけど、そのイメージも大きいのかな。
分からん。
☆ ★ ☆
自分の周りでは、連れとつるむ男は関西人。関東人はあんまりつるまない(個人行動派が多い)。多分、べちゃくちゃしゃべらないからだと思うのだが、実際はどうなんだろうか。
■この動画は2度目。
倅は「初ジェットコースター」。3歳以上から乗れる奴に先日乗せてみた。
発車前は、「きゃーきゃー言ってるね」と上機嫌だった倅。
最初の急カーブから顔面蒼白。
2週回って下車したら「強気に怖くなかった」と言ったものの、もう一回乗る?の誘いには「乗らない!」と即答。
一応2度目も乗ったが、その時は「怖かった」と正直に答えたな。偉い偉い。
もうオシメしてないから、漏らすのだけは勘弁な!
☆ ★ ☆
■ポニーは怖かったけど…
■滑り台なら問題なし。
う~ん。やっぱりヘタレやな。
誰に似たのか寝相の悪い愚息。夜は大抵、豚の丸焼きのポーズで爆睡。
■こんな風に、アキレス腱をクロスさせてうつ伏せ寝。
大抵朝まで部屋中をグルグルと動き回りつつも、相変わらず豚の丸焼き。
寝る子は育つの言葉通り、大きくなって欲しいのだが、遅くならないうちに一応起こす。
その時、「これこれ杉の子 起きなさい お日様ニコニコ声かけた 声かけた」という唱歌「お山の杉の子」のサビが頭を駆け巡る。ついつい、「これこれ愚息よ起きなさい~」と言ってしまうのだ。
お山の杉の子。子どもの頃、少ない実家のレコードコレクションの中に、この曲が入った一枚があったんだろうと思う。ジャケットはどうだったか見た記憶がないが、小さい頃何度か聞いた覚えがあるからだ。元々は軍国少年を鼓舞する歌詞だったようだが、私が聴いたのはリンクの様なものに変わっている歌詞だったのではないか。40数年も経って、2番のサビしか思い出せないのだが。
☆ ★ ☆
恥ずかしい話だが、ある時まで、土筆(つくし)がスギナになって、その次に杉の子になるもんだと勘違いしていた。河原の土手になる土筆が、どうして杉になるのか不思議だなと思いつつ、スギナを山に植え替えると杉になるのかと、頓馬な思い込みをしていたのだ。
愚息に土筆が大きくなったら杉になるんだよと、おバカな話を伝えるところだったな。
愚息が実家の家を指差し叫び、天下の公道やお店の中でも構わず叫ぶ。
「ビンボー」
これがその模様だ。
■寝っ転がった下の新聞。築地とか大手町の新聞社より給料少ないとみんなが知っているけど、1歳児の愚息に言われたくないよね。私の所属していたところだが…
最初にこの言葉を耳にしたのはこうだ。
ご近所さんと山ノ神が立ち話をしているときに、実家の呼び鈴を指差して叫んだそうだ。
「ビンボー」
これを聞いたご近所さん。慌てて「貧乏じゃないでしょ。ぴんぽんでしょ」とフォロー。
そんなのも構わず、まるで関西の某市長の様にまた叫ぶ。「ビンボー」
山ノ神によると、呼び鈴のことを「ビンボー」と言っている訳ではないらしい。テレビのスイッチも「ビンボー」と言っていたので、ボタン全般を「ビンボー」と呼んでいるようだ。
今は、ボタンを押したい時に「ビンボー」と叫んでいる。
上の動画も、実家の呼び鈴を押したいから叫んでいるのだ。
和英辞書で調べたら「呼び鈴」は"bing-bong; ding-dong"とも言うらしいから、あながち愚息の発声は筋が悪いわけではないようだ。
フォーレターワーズを叫ぶよりマシとしよう。
今日は万愚節。四月馬鹿。いろんなサイトでジョークが見られるが、食傷気味。俳句でも季語になってはいるが、歳時記を見てもピンとくる例句がない。日本には合わないんじゃないかねぇ。
とは言え、1990年のこの日のとしまえんの新聞広告には衝撃を受けた。当時私は大阪の広告局に居て、朝刊を捲っての体験はなかったのだが、後日この紙面を見て流石西武と思ったものだ。としまえんは子どもの頃からの良く通った遊園地だったが、宮沢りえのサンタフェの扉の広告にしても、この史上最低の遊園地にしても、痛烈だったのだ。バブルの仇花とは言え、セゾン、西武文化が一番映えていた時代だねぇ。
☆ ★ ☆
さて、うちの愚息。狂言風の「泣き」の型をやり始めた。昔、え~ん、えんと泣く絵本を愚息に読んで聞かせたことがあるのだが、これが狂言風な語りになっていたのかなぁ。
まだ笑う型は出来ないけど、泣き方は狂言そのものだなぁ。
☆ ★ ☆
今年も早くも1/4を消化してしまい、私も一つ歳を喰ってしまった。46か… 本当に第4コーナー回って直線向いた感じ。
誕生日と言うことで、実家の母を呼んでまた富士見台の牛蔵の肉を奮発。サシの効いた肉ばかりをいっぱい買って持ち帰って食べたのだが、夫婦揃って翌朝は胃もたれ。ああ悲しき40代。脂身大好きの山ノ神も、年齢の壁にぶち当たったようだ。次回は赤身の肉も買おう。
明日は旧暦の針供養。日頃お世話になっている針道具を休ませるということなのだが、実家の母が淡島神社に供養をしているのは見たことがないなぁ。モチロン、山ノ神もしてないのだが…
まぁ、昨今のデフレ経済下、破れたら捨てることの方が多い。針仕事はボタン着けくらいしかないんだけどね。
我が家の愚息への教育方針として、どんな環境でも一人で生き抜けるというのが命題である。お勉強よりも炊事洗濯掃除糸針ぐらいは自分で出来るようにが夫婦の共通認識。そんな訳で、先ず隗より始めよよろしくボタン着けはしております。
☆ ★ ☆
この前、ほぼ日を見ていたら、ちょんまげぷりんの作家・荒木源がインタビューに答えていた。主夫業かぁ。
その中彼が言う。
乳幼児を抱えるお母さんというのは特捜部まわりと同じくらい大変。自分の時間が、まったくない。事件や同業他社同様、子どもは、こっちの都合をかまってくれない。
だから大変だけど、面白いというのもあるんだと思うのは変なのかな。毎回同じじゃつまらないと思うのは、我儘なファンタジーかもしれないか。
周りの育児経験や体験談を聞いていると、愚息は楽チンの部類だと思うし、育児には私も協力的だと思うんだけどねぇ。
☆ ★ ☆
話を元に戻して、針仕事を休むこと。仕事をしない日を設けるのは、西洋では安息日でもあるように、洋の東西問わずにある。今の日本では無くなってしまったが、昔は各季節の土用の間は土公神が祟るから土木関係の土いじりを忌んだそうだ。先般読んだ「河原ノ者・非人・秀吉」(服部英雄・著)で初めて知った。土用の間の工事は、被差別民が請け負ったとか。いろんな縛りがあったんだねぇ。
■何言ってるのか分かんないけど、勇ましい愚息。でも、USJの新絶叫マシーンの如く怖くて後ろ向いて滑る。勇ましくても、炊事洗濯掃除糸針はやってもらうけどな。
「しゃべってみなはれ大阪弁」やったか「大阪人の説明書―自分が一番おもろいで!」やったか忘れたが、関西では(神棚や仏壇に)拝むことを「まんまんちゃん、あ~ん」と言うと書いてあった。傍で見ていた山ノ神が、そう言えば、お母さんがよう言っていたわと呟いていた。
関東では聞かない「まんまんちゃん、あん」。水木しげるが「のんのんさん」の話を書いていたが、西の方では仏さんや神様をそう言うのだろう。
さて、うちの小坊主。誰も教えないのに仏壇を見ると手を合わす。鐘を鳴らすと、飛んできて合掌。手にものを持っていると、床に荷物を置いて、合掌。不思議や。
こんな具合。奈良の山ノ神の実家でも鏡餅に向かって合掌していたらしく、「この子はまんまんちゃんようやるわね」と不思議がっていたそうだ。
もっとも、先日は教会に向かっても拝んでいたそうだから、その気を感じると手を合わせるのかもしれない。
☆ ★ ☆
今月あった伯父の三回忌の法事。雪の降る中、伯父をお見舞いに行った日のことをよく覚えている。病床の中、妊娠を喜んでくれていて、まさかその日に急変するとは思ってもいなかった。そんな伯父への報告と我が方の親戚にはほとんど愚息をお披露目してなかったの兼ねて、愚息を連れて行ったのだ。
まんまんちゃん癖のある愚息だから、何かやらかすだろうと思ったら、読経の最中は手にした数珠を木魚に合わせてぶんぶん振り回していた。僧正に駆け寄りはしなかったから、まぁ御の字だ。法事のイメージは、小さな子供がうろちょろすると言うもの。
影膳に手を合わせる愚息を見た伯母たちは、従姉に面影が似ていると言ったなぁ。この従姉は死んだ父親が可愛がっていたんだな。今はでっぷりとしているけど、若い時は山ノ神にそっくりなんだよね。初めて紹介した時、それもあってニコニコしていたのかなと思った記憶もある。
まぁ、小さい子が一人でもいると、法事は和むねぇ。
「浦安と早稲田は馬鹿で蔵を建て」
■蔵は建てられない馬鹿親と入浴中。
2週ほど前、参加している古巣の俳句糸瓜句会の同人が教えてくれた江戸川柳。
浦安は馬鹿貝、早稲田は茗荷が名産だったからのようだ。早稲田の名産が茗荷というのは、大学時代4年間通っていたが恥ずかしながら知らなかった。江戸野菜の会のような団体があり、2年ほど前にメディアでもとりあげられたらしい。
早稲田ミョウガ(JA東京中央会)
茗荷はこれからが美味しいですよねぇ。奴にも良し、素麺にも良し。俳句の包丁人・佐藤倖三氏は、ジュンサイなどと一緒に氷でしめた酢の物でいい酒のお供にしてましたね。亡父は京都二条大橋東入の加藤順漬物店の茗荷の志ば漬が好物だった。あれは旨い。
☆ ★ ☆
我が同人、この川柳についてネズミーランドとバカだ大学が金儲けしているノストラダムスばりの驚異の予言句と突っ込んでいた。
バカだ大学の金儲けはネット界隈で大騒ぎしたstudygift炎上事件の方かな。毒婦・佳苗キッチンと同じ構図じゃないかという指摘もあるが、この増田の意見「ソーシャル寄生主義のStudygift界隈へ抱く嫌悪感」に同感。
☆ ★ ☆
茗荷を食べるとバカになると言う由来に引っ掛けた狂言が名取川。いい曲です。
小謡、万之介先生にお稽古してもらうことは適わなかったけど。
FBで前の職場の面々のを見てたら、日経電子版が創刊2年で20万人の会員数を突破したとか。へぇ。私は無料会員だし、あんまり見ないな… 古紙の扱いが面倒で、日経本紙の購読も止めてしまったし。ニュースサイトをチェックして、気になったら媒体以外ソースに当たるという癖もついているからかな。「メディアの興亡」の舞台となった時代と違って厳しい体力戦だと思うのだが、会員数は何百万人でペイ出来るんだろう。
一方、我が古巣の毎日新聞のサイト・毎日JP。使い勝手が悪いな。サイエンスライターの森山和道氏やこのサイトでも、指摘されているねぇ。
本紙の記事が全て公開された電子化されている様ではないし、自社の記事で検索がヒットしないのは何なの???
別居生活中の山ノ神に、2012/04/08付の<ストーリー>「英国のホットスポット チェルノブイリから2000キロ 今も頭部に赤い印」を読んでもらおうと、毎日JP(http://mainichi.jp/)で検索するとヒットしない。goo配信版では読めたのだが(4/19では読めないけど)、自社サイトで読めないのは変だろう。と、憤っていたら、こっちのサイトhttp://www04.mai.vip.ogk.yahoo.co.jp/index.htmlではヒットした。サイトのリニューアルはいいが、自社記事の検索ぐらい一元化してもらいたいねぇ。
よりシンプルに使い易くしてもらうのはいいが、また小手先のイメチェンをしてユーザーインターフェースを損なってもらっては困るのだ。最近の例だと、MSのOfficeを見よ。2007からリボンだの変なUIにして、ユーザーの顰蹙を買っているだろう。未だに旧バージョンで頑張っている知人を公私共に沢山見ている。私もWIN7にしたとしても、XPM+OfficeXPだな。同じように、はてなもガラリと変えて、ユーザー離れを招いているしねぇ(「はてなは「絶対すべきでないこと」をやらかしたのか?」(by yomoyomo))。反面教師としてもらいたい。
古巣の場合、本紙でも結構Joel Spolskyが言う「あなたが絶対すべきでないこと」をやらかし続けていた記憶がする。ガラリと変えたい気持ちは分かるけど、やり方が難しいんだよねぇ。
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