演劇

2013.12.21

とれびあ~ん

drumのyoshie*さんからお誘いがあって、レ・ロマネスク愛の劇場2013冬至トレビア~ンが止まらない「一年で一番短い昼を一緒に過ごそうよ!」@青山CAYへ山ノ神、愚息と行ってきた。
このお誘いがなければ、「お伝と伝じろう」(NHK・Eテレ)に彼らが出ていることも知らなかった。

歌詞が抱腹絶倒という話はyoshie*さんから聞いていたのだが、Youtubeで見て納得。山ノ神と愚息は一気にご飯の歌「アングランドリ(日本語吹替)」に引き込まれていった。

☆ ★ ☆

愚息には、伝わレレレや「お伝と伝じろう」を見せて、拒絶反応がないかを事前検証。結構、喜んでいたので安心して青山へ乗り込んだ。会場に着いた途端に、動画で見ているのと(トビーのこと)同じだ、同じだと連呼。フライヤーを手に指差しまでしとった。何度もトビーに頭を撫でられたり、ハイタッチされたりで、ご機嫌?の愚息でしたな。


■このシーンは、撮影タイム。



■終演後、記念撮影もしてもらった。カレンダーを買わずに心苦しい… MIYAさんの声が可愛いねぇ。愚息は彼女に「めちゃカワイイ」と言ってもらってましたな。わしは聞こえてなかったけど、山ノ神がしっかりチェックしてたのだ。

今日のステージは爆笑物が少ないと言う話だったが、文句なく楽しめた。2歳のチビが1時間半飽きずに喜んでいたんだしな。乗りは学祭のそれに似ているかも。(こんな感じ)

☆ ★ ☆

帰路、「モッタイナイ、チュッ!」を連呼する愚息。「チュッ!」なんて、歌詞や合の手があったかなぁ。しばらく親子でこういう場は諦めていたけど、レ・ロマネスクなら諦めることがないんだな。

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2013.06.19

おだまりの思い出

先日、某国の人権大使が英語で会議場で「おだまり」を連発したのが報道された。指摘された通り、日本の司法は中世と言われても仕方ないのは事実に思えるから、他国から言われるのは仕方あるまい。

実は私も、ああいう公開の場で「おだまり」を叫んだ記憶がある。「おだまり」じゃなくて、「黙れ!」だけど。

30年程前、高校演劇部時代の学園祭公演の出来事だ。確か2回目公演の時だったが、暴走族のリーダー役だった私の独白シーンで、舞台中央で絶句。頭が真っ白状態になった。教室を改造したステージは満員御礼状態で、スポットライトは私にだけ当たっている。静まり返る時間が1秒、2秒と時を刻む。3秒目あたりからざわめく。

思わず出た言葉が、「黙れっ!」

まぁ、役処が暴走族のリーダー役だったから、お客さんを怒鳴りつけても変ではないのだが、やっちゃいけないよねぇ。
当時のメンバーの意識の中では、客弄りや楽屋落ちの芝居を軽蔑していた記憶があるが、役者が芝居と関係なくお客さんに話しかけてはねぇ…

30年経った今でも、絶句の夢は見る。起きた時に嫌な汗を掻いている。


■30年前の高校の演劇同好会の集合写真。みんな若かった。

この集合写真を見ると、セント・エルモスファイヤみたいだねぇ。幸いみんな存命中だ。

☆ ★ ☆


■山ノ神の友人の旦那が出演中の大道芸で、マスクを被った面々を怖がった愚息。

先週末に、山ノ神の友人の旦那が大道芸(のっぽさんとジャグリング)をやっているので一家三人で参上。山ノ神は愚息が大喜びするものと思っていたのだが、西洋のいろんなマスクマンがうろうろするのを見て大泣き。全く受け付けなかった。

この肝っ玉の小ささは誰に似た?

私も小さい頃、油壺マリンパークの仮面ライダーショーで悪のショッカー軍団に抱っこされて大泣きした口だが、山ノ神も似たようなシチュエーションで号泣していたそうだから、両親の血が濃くなって現れたんかね。

☆ ★ ☆

おだまりの思い出というタイトルにしたが、そっち系のお店の思い出ではありません。

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2013.02.19

許容範囲

この前の日曜日、第5回 三遊亭竜楽の会 in“結”へ一家揃って出張った。


■宴会中に竜楽さんの携帯を弄る愚息。携帯の中身は勿論愛娘ちゃんでしょ。

包丁人・佐藤倖三先生(「包丁人の季語日記」の著者)と音楽家・土田京子先生の自宅で催される竜楽さんの噺と包丁人の品々で一献を傾ける趣向。今回で5回目か。私は皆勤だが、1回目の時、仕込みのお手伝いに行った山ノ神のお腹には愚息が寝てたんだよな。

今回の噺はご存じ「長屋の花見」。ちょっと早いけどね。
山ノ神は噺より枕が好きな様だが、私は渋い竜楽さんの話がいいんだよね。

噺は兎も角、愚息が騒ぐんじゃないかと冷や冷やした落語会。ちょっと奇声をあげたり、余計なところで拍手したりとお利口さんではなかったですが、まぁ親の贔屓目でマシな感じといったところ。宴会時に竜楽さんに聞くと、「許容範囲ですよ」と慰めの言葉を頂戴しました。

☆ ★ ☆

酒宴の方はいつもの通り。美味しい料理と酒を楽しみました。


■御膳に取りながら、楽しみます。


■これらの料理は、田町の倖三先生の料理教室でも教えてもらえます。


■愚息は小芋と加薬ご飯には目がない!

また落ち着いたら田町の教室へ伺わなくてはな…

☆ ★ ☆

人の縁とは不思議なもので、竜楽さんと狂言は万酔会でご一緒だったのが、会の主宰の京子先生とは俳句の繫がりでご一緒。それでこの会の寄席文字を書いているU君は私の出身高校の30年後輩なんだよねぇ。U君の兄君も後輩で、卒業時我が演劇部の顧問三浦先生が担任のクラスだったんだとか。U君から、母校の政三校長や大嵩崎先生が亡くなられたということを聞きました。合掌。 それと彼から演劇部は知らないと聞いて驚き。無くなっちゃたっの?

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2013.02.03

もう足を洗ったと思ってた

「もう足を洗ったと思ってた」
知人の出資馬がダービーで惜敗するなどした時に、メッセージを送った時の返事だ。
日頃は馬鹿親の日常を晒していても、性格上、一度趣味にしたものは継続的に情報はチェックしている。
真剣度は下がっているけど。

その中で、先月末のアンカツ引退の報。昨年秋ごろから大レースの馬柱に名前がないなと気になって、もしかしたら大馬主に干されているのかと心配していた矢先だった。

寂しいねぇ。90年代前半から所帯を持つまで、一口馬主に足を踏み入れ、中央も地方も馬を追い掛けていた私。アンカツには笠松で助けてもらったこと多数だし、まだ地方競馬のジョッキーが格下と思われていた中央でも必ず何かやらかしてくれると言う期待感を持たせてくれていた。
あの見事な風車鞭でゴール前を追う姿を拝めないのは悲しい。

競馬のことを知らなくても楽しめる昭和の高度成長期の地方競馬の雰囲気を余すことなく伝えている山口瞳の名著「草競馬流浪記」。ああ、今は絶版になっているのね。この3月に福山も廃止になるそうだが、上ノ山、中津、高崎と櫛の歯が抜けるように草競馬がなくなっていくのだから、この本が絶版になるのも仕方ないか。

閑話休題。本書の最初が笠松競馬場。その中でアンカツが美少年として登場しているんだなぁ。JRAのHPで今日の引退式の姿を見たが、52歳とは思えないけれどもね。


この淀の現場に立ち会ったが、数万の観衆がどよめいて本当に地鳴りがした。
本当に笠松の田舎娘が、エリート候補を薙倒していく行く姿。たまらんかったねぇ。嫌なことがあって気分を無理やり盛り上げたい時に、30代前半まではこのレースのVTRを何度も見たな。

アンカツ自身は、秋のG1の後、人気先行の馬でこの程度の実力でしょと冷たく言い放っていたけど、春先は昔手綱を取っていたオグリローマンが中央に移籍して桜花賞を獲ったのを見て、もしかしたら春先の桜花賞は狙えるかもと思ったのだそうだ。

☆ ★ ☆

一番のめり込んでいた時の役者。この場合は騎手だけど、居なくなってしまうと、楽しみがなくなってしまうねぇ。10年ほど前に亡くなった伯父。開業している医院を歌舞伎座の初日と楽日は必ず休診にするほどの歌舞伎狂いだったが、年を取ってからは歌舞伎座には余り足を運ばなくなった。従姉に聞くと、自分が一番見ていた時の役者と比べると舞台の出来が悪くて、いつも怒っていたそうだ。そんな舞台を見るくらいなら、撮り貯めたVTRを見ることを選んだとか。

伝統芸能だと子役の時から成長過程を見て楽しむというスタイルもある。私は有名になる子の初舞台を見たとか、何とかといもの。でもなぁ、先代と比べてがっかりするという気持ちの方が分かる気がするなぁ。

☆ ★ ☆

アンカツのデビューの地、笠松には良く行ったねぇ。大阪にいた時は車転がして行ったり、ローカル線でも新幹線でも通った。愛馬の勝利もここで拝んだし、パドックが内馬場にあるのもいいし、村祭りみたいな雰囲気もいい。
桜の頃の木曽川べりの桜並木も、馬場横の桜も見事なんだなぁ。

愚息が大きくなったら、笠松には連れて行ってあげたいと思うが、それまで存続しているかねぇ。


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2013.01.21

片づけたい女たち@東京芸術劇場(2013/01/20)

山ノ神とリニューアル東京芸術劇場へ参上。る・ばるの芝居は、2007年10月のシアタートラムでの木野花演出の「片づけたい女たち」を見てから、これで3度目。2007年当時は芝居慣れしてない山ノ神に、自分自身が未見のユニットの舞台に連れ出すと言う冒険を犯してなかった。見た後、これは一緒に見ておけばよかったと地団太を踏んだのだ。

る・ばるからDMが届いて、迷わずチケットの手配をし、託児サービスも予約したのだ。

☆ ★ ☆

芝居は安心して楽しめた。あれ、前の時はこんな演出だったっけ?と自分の記憶力の低下にくらくらしながらも、隣の山ノ神も楽しんでいたみたいであった。あのゴミの山を見、片づけ始める役者の姿と見ると、隣で「一緒に片づけたい!」とまで呟いていた。掃除しない言い訳連発の私の言い分を舞台上でも繰り広げられて、私の十八番のセリフが飛ぶ度に、脇腹をつねられて今でも少々痛い… チョビ役の松金よねこが嫁姑の愚痴を展開するのだが、私の見立てと山ノ神の見立てが違っていて、そんな風に見るものなのかと思うこともあった。

最前列、中央より若干左よりだったのだが、バルコニーのやりとり様子があの山の陰に隠れて見え損なったのが残念。

あとでサイトを見ると、東京での「片づけたい女たち」はもう最後とのこと。もう再々再演はないんだなぁ。見納めかぁ。

でもまぁ、台本がなくて残念と思っていたのが、今回に合わせて上梓されたんで、これはうれしい話。ロビーで永井愛がサインで大忙しだった。

☆ ★ ☆

託児サービスを利用して芝居を観るのは、今回が二度目。前回は初台の新国立だったが、東京芸術劇場のキッズルーム・ミューズは、新国立のそれよりずっと環境が良さそうだった。見晴しもいいし、広い。愚息も喜んでいたと思うのだが…

一夜明けた今日は、一人にされると大泣きしたそうだ。また置いてけ堀を喰らうんじゃないかって、疑心暗鬼になっているのだろう。


■芝居を見に行く前に、介助犬、救護犬のデモを見に行った愚息。大きい犬は大好きという山ノ神の談だったが…

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2012.12.05

いろんなところを見ている

勘三郎急逝。TVなし生活なので、通勤電車内でニュースサイトで知る。
57。早すぎる。私と一回り違うのか。

しょっちゅう見ていたわけではないし、平成中村座も一回も行ってないのだが、器用に、エネルギッシュに舞台を駆け回り、しかも古典に裏打ちされた確かさを持った役者さんだったんだよね。

奇しくも、最近関容子の「舞台の神に愛される男たち」を読んだばかり。あとがきにも勘三郎さんの縁が何とかと書かれているように、彼につながる役者さんたちが続々と登場する。彼自身はゲストとして登場しないのだが、勘三郎人脈というか端々に出てくる。自由劇場時代の柄本と笹野の二人芝居に勘三郎が真底笑ったという話や、白井晃の奥さんとなる女優がお気に入りだった話とか。

勘三郎の鋭いところで覚えている一説がある。笹野の項で、笹野の末子と子役で共演した勘三郎が子役を誉める。誉める場所は演技のところもあるが、子供が遊びに飛び出す前にお母さんの靴をちょんと揃えて駆け出していくのを誉めるんだよね。いいな。ちゃんと見てるな、と思った。勘三郎も「今時、お母さんの靴を直していく子供はいないよ」と言う。

☆ ★ ☆

この本、月刊浄土で連載している「会いたい人」をまとめたもの。今月は勘三郎と同じ事務所の串田和美氏の第1回。勘三郎については、器用だけども、それをコンプレックスに思っているすごい人という感じなことを言っている。

坂東三津五郎の1回目に、勘三郎の子供の頃の写真もある。りこんそうだったねぇ。

☆ ★ ☆

勘三郎は唯一私が知っている亡父が好きだった役者。TVで彼が出ている番組は録画をして良く見ていた。NHKの大当り勘九郎劇場はお気に入りだった。ああ、57は早いよねぇ…

昔読んだ本で当時の勘九郎が、古典鑑賞会のことを千人見せて、百人の味方を作るんじゃなく、九百人の敵を作っているんじゃないかということを言ってたなぁ。。。


■愚息の大見得。目が大きくて舞台映えすると思うが…

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2012.10.16

コスプレ沙翁は40万超か

先日のリチャード三世を観た後、サッポロの復刻版「冬物語」を飲みながら山ノ神と他のシェイクスピアを観たいねぇと言う話に。
なら、昔NHKで見たBBCのコスプレ芝居・シェークスピア劇場がDVDで出てないかと調べてみると、あったあった。

うむむ。日本語字幕付きは個人用で44万強かぁ。サイトでは売切れ表示なっているけど、ねっと販売の都合で売切れ表示の様だ。

大学図書館にはあるけど、地元の図書館には置いてなさそうだ。著作権クリア版は90万弱では、流石にリクエストしても買ってもらえんだろうな。ダメもとで聞いてみるが。NHKで放映当時、中学生か高校生だった。半分くらいは見た記憶があるが、もう一度見たいんだがなぁ…

☆ ★ ☆


■一方の愚息。「麺をくれ!」(元ネタは、"A horse! A horse! My kingdom for a horse!"(Richard the third) です。念の為)

やっと匙を持てるようになったと思ったのだが、まだまだ道は遠い。
シェイクスピアまで十年以上先だな。

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2012.10.14

リチャード三世@新国立劇場(20121014)

出演者の森万紀さんと山ノ神が大学時代からの友人という縁もあり、リチャード三世を初台の新国立劇場で観る。愚息はキッズルームドレミに預ける。終演後迎えに行くと、愚息はご機嫌。殆ど泣いてなかったようだ。ここの事業は小学館集英社の一ツ橋系の関連事業が関わっているようで、「めばえ」の付録のお持たせもあった。

前半2時間、後半1時間20分の長丁場だったが、良い芝居だった。リチャード三世は背虫と跛。役者は悪人面の濃い仲代や山崎努、平幹二郎というのが私個人のイメージだったので、岡本健一のスマートな感じがしっくりとこなかったのだが、この舞台を見て背虫と跛のリチャード三世にすんなりとなりきっていた。仲代や山崎のような濃いリチャードでは怨念が強過ぎるが、岡本リチャードであれば、夫や子を殺された女達がふと隙を作ってしまうのも無理がないような気がする。

舞台美術も演出も簡素であり、円形劇場でないのに奥行と縦横無尽に歩き回る芝居で面白い。砂地の靴音がいい。

最後の殺陣のシーンも、棒術も中々さまになっていた。

2009年の9時間余に及ぶ今回と同じスタッフキャストの通し舞台「ヘンリー6世」は見損なっていたことを悔やむ。まぁ、2009年は個人的に動乱の年だったので仕方ないのだが。


■終演後、楽屋前にて。森さんと愚息、山ノ神。森さんはすらっとしてて舞台映えする。喪服も似合っていたねぇ。
新国立の楽屋は二度目。前は石本っちゃんの舞台の時だった。彼もピッコロ出身。山ノ神が森さんと私が石本っちゃんと知り合いで… 世間は狭いんだなぁ。

演者の皆さん、あと1週間体調崩さずやりきってください。

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こんな芝居を観ると昔NHKで見たBBCのコスプレ芝居・シェークスピア劇場を観たくなるねぇ。

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2012.05.16

記憶に残ってなんぼ(つかこうへいの70年代)

週初めの2012/05/14、現代演劇シリーズ第39弾 つかこうへいの70年代展の演劇講座 「座談会 つかこうへいの70年代」@早稲田大学大隈記念講堂(大講堂)へ。当日、TWで催事を知り、つか役者3人が講師なら行かねばと、仕事の状況が平穏だったので帰り道に立寄った。

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講師:風間杜夫(俳優)、平田満(俳優)、根岸季衣(俳優)
司会:扇田昭彦(演劇評論家)
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15分ほど遅刻して大講堂へ。空いている2階で拝聴。既に平田の紹介が終わっていたようで、根岸の途中と風間の紹介から最後まで聴けた。私はつかの芝居から10年近く世代が下で、高校時代につかと言えば角川文庫の小説の方が身近で、演劇部の稽古で初めて「熱海」を読んでやってみたのが馴初めだ。残念ながら「生の」つかこうへい事務所の芝居は知らない。役者や演劇部の顧問の先生からの語りからしか、その舞台伝説を垣間見ただけである。ただ、いろんな文章や役者たちのインタビューから、つかの凄さと言うものには憧れていた。

何しろ高校演劇時代は、イッパシに「小さい小屋でないと演劇の熱さは伝わらない」と、教師の要請のあった学園祭での大講堂での公演を拒否し、またビデオ撮影も演劇の一回性に反すると嫌がった。結局は妥協して、1回の大講堂公演とビデオ撮影を認めたが。

亡くなってから、「つかこうへいの新世界」(メディアート出版)を買って読み、捨てずに大事に取っておいてある。


■古本で買った「つかこうへいの新世界」

口立ての様子や演技指導など「つかこうへいの新世界」を読んでいれば大体知っていたことばかりなので、今回の座談会は途中たるかった。が、風間の話が面白く、肉付けにはなったかな。根岸の肉声は、「つかこうへいの新世界」には載っていなかったしね。
別役には影響されていると文章に残っていたのだが、鈴木忠志に私淑していたとのうは初めて知った。

以下、印象に残ったコメント。

根岸:「つかこうへいは常に銀ちゃんであり、役者は常に誰もがヤスの状態という人間関係」

風間:「客を気持ちよく騙せ」「お前のスベテをぶつけろ」「三浦のテープが有る」「お前の人生が浅いんだよ」「演劇は一回限りの潔さ」「つかさんにとって、役者が代われば同じ台本でも新作」

平田:「(古い映像を見て)演劇は記憶に残ってなんぼ(だったかな?記憶曖昧)」

扇田昭彦:鈴木忠志の家で初対面のつかこうへいに怒られたエピソード。「食事に招かれて残すなんて人の道に悖る。僕だったら三日前から断食して、前日に10キロくらい走ってから来ます、そうしたらどんな食事でもおいしくたいらげられますから」


風間の和芸はいいねぇ。また風間の芝居を見たいなぁ。過去の貴重な映像とやらは見たいとは思わない。平田の言う通り「演劇は記憶に残ってなんぼ」だな。

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この座談会とは関係ないが、つかの訃報の時(2010/07/16)に北村想がつかのエピソードを書いている。

つかぬこと

この業界で40年やっているから、表も裏も知っているので、いまさら、立派なひとをなくしたのと、肩を落とすこともなければ、早すぎると嘆くこともないのだが、つかこうへい氏の演劇からは、どんな影響も受けていない私が、現実に遭遇した事柄を少し述べておく。まだ彼が劇団『暫』と良好な関係であったとき、名古屋でも何度か公演があって、まだ彼も時間に余裕のある身であったから、名古屋の演劇インテリたちが、焼鳥屋の二階座敷に彼を招いて、飲み会を催したことがあった。私も末席に座って、酒は飲まず、彼が名古屋インテリ演劇に対して何を語るのかを拝聴していたのだが、まず、インテリ連中の、演劇論の応酬があり、それぞれが(当時の私が聞いていても)ろくでもない立派なことを述べていたが、つか氏はこれに加わろうとはせず、ただ、黙ってビールを舐めているだけだった。しびれをきらした、演劇論リーダーが、「つかさんは、どうお考えになりますか」と、話を振った、そのとき、これをかわすでもなく受けるでもなく、「懐手してひとを斬る」とでもいおうか、ひとこと「ところで、つかぬことをうかがいますが、あなたがたは、何で食べてらっしゃるんですか」と、そのコトバを一閃させた。ここで、空気は凍りついたようになり、演劇論もへったくれもなくなって、さて、その後のことは知らない。私は座を離れたからだ。まさに勝負あったとしかいいようがナイ。つか氏がブレイクして、名古屋の某劇団が『熱海殺人事件』を上演したとき、カーテンコールで、役者が勢ぞろいして、それぞれ手に団扇を持ち、これをいっせいに裏返すと、文字が一文字ずつ書かれていて「客席につかさんがおみえです」と読める趣向だったが、どこを捜してもつか氏の姿はなく、これもまた、つか氏らしいすっぽかしの小気味よさだなと、私は苦笑した。生前は一度もお会いしたことはナイが、おそらく、会っていたら、食うためにゴーストライターの仕事くらいは引き受けていたに違いない。

☆ ★ ☆

この日は、奇しくもつか役者の三浦洋一の十三回忌の命日だった。

演博の企画展に行くのは2009年の太田省吾を扱った「現代演劇シリーズ第34弾 太田省吾展-人生の「地」と「図」をみつめて-」以来3年ぶりか。

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2012.03.05

キョウコは熊谷真実じゃなかったのか

昨日見たザ・シェルターと寿歌の二本立て。本当に珍しくパンフを買ってしまった。

歳食って、おセンチになったんかな。
このパンフ、青空のバックと題字の上に赤い蝙蝠傘。芝居で役者が語る象徴的な1シーンなのだが、なかなかいい。チラシと違ったいいパンフだ。また次回公演を見に行ったら買ってしまいそうだ。

3・11を目の当たりにして、やはりこれを掛けねばと思う気持ちは分かる。80年代、90年代の芝居は、ハルマゲドンや核戦争後、一種の終末論がテーマとなったものが多かった。まさか、3・11で自分の生きている時代に、こんな日本を見るとは思っても居なかったからね。

社会人になって年に数度しか客席に行かなくなり、今の演劇シーンがどんなものなのかは知らない。ただ若手の面白いよというカンパニーの芝居や、静かな演劇を見ても、ピンと来るものがないんだよねぇ。こんなチマチマしたのやってて、面白いのかなって思うんだな。そんなことを思うのが年を取った証拠だけど。

☆ ★ ☆

それにしても、キョウコは熊谷真実じゃなかったのか…
センジューローという彼女の台詞が耳に残っているから、ザ・シェルターのイメージがシンクロしていたんかな。

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加藤健一は手がデカイという話も出ていたが、やっぱり顔でしょう。

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