週初めの2012/05/14、現代演劇シリーズ第39弾 つかこうへいの70年代展の演劇講座 「座談会 つかこうへいの70年代」@早稲田大学大隈記念講堂(大講堂)へ。当日、TWで催事を知り、つか役者3人が講師なら行かねばと、仕事の状況が平穏だったので帰り道に立寄った。
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講師:風間杜夫(俳優)、平田満(俳優)、根岸季衣(俳優)
司会:扇田昭彦(演劇評論家)
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15分ほど遅刻して大講堂へ。空いている2階で拝聴。既に平田の紹介が終わっていたようで、根岸の途中と風間の紹介から最後まで聴けた。私はつかの芝居から10年近く世代が下で、高校時代につかと言えば角川文庫の小説の方が身近で、演劇部の稽古で初めて「熱海」を読んでやってみたのが馴初めだ。残念ながら「生の」つかこうへい事務所の芝居は知らない。役者や演劇部の顧問の先生からの語りからしか、その舞台伝説を垣間見ただけである。ただ、いろんな文章や役者たちのインタビューから、つかの凄さと言うものには憧れていた。
何しろ高校演劇時代は、イッパシに「小さい小屋でないと演劇の熱さは伝わらない」と、教師の要請のあった学園祭での大講堂での公演を拒否し、またビデオ撮影も演劇の一回性に反すると嫌がった。結局は妥協して、1回の大講堂公演とビデオ撮影を認めたが。
亡くなってから、「つかこうへいの新世界」(メディアート出版)を買って読み、捨てずに大事に取っておいてある。

■古本で買った「つかこうへいの新世界」
口立ての様子や演技指導など「つかこうへいの新世界」を読んでいれば大体知っていたことばかりなので、今回の座談会は途中たるかった。が、風間の話が面白く、肉付けにはなったかな。根岸の肉声は、「つかこうへいの新世界」には載っていなかったしね。
別役には影響されていると文章に残っていたのだが、鈴木忠志に私淑していたとのうは初めて知った。
以下、印象に残ったコメント。
根岸:「つかこうへいは常に銀ちゃんであり、役者は常に誰もがヤスの状態という人間関係」
風間:「客を気持ちよく騙せ」「お前のスベテをぶつけろ」「三浦のテープが有る」「お前の人生が浅いんだよ」「演劇は一回限りの潔さ」「つかさんにとって、役者が代われば同じ台本でも新作」
平田:「(古い映像を見て)演劇は記憶に残ってなんぼ(だったかな?記憶曖昧)」
扇田昭彦:鈴木忠志の家で初対面のつかこうへいに怒られたエピソード。「食事に招かれて残すなんて人の道に悖る。僕だったら三日前から断食して、前日に10キロくらい走ってから来ます、そうしたらどんな食事でもおいしくたいらげられますから」
風間の和芸はいいねぇ。また風間の芝居を見たいなぁ。過去の貴重な映像とやらは見たいとは思わない。平田の言う通り「演劇は記憶に残ってなんぼ」だな。
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この座談会とは関係ないが、つかの訃報の時(2010/07/16)に北村想がつかのエピソードを書いている。
つかぬこと
この業界で40年やっているから、表も裏も知っているので、いまさら、立派なひとをなくしたのと、肩を落とすこともなければ、早すぎると嘆くこともないのだが、つかこうへい氏の演劇からは、どんな影響も受けていない私が、現実に遭遇した事柄を少し述べておく。まだ彼が劇団『暫』と良好な関係であったとき、名古屋でも何度か公演があって、まだ彼も時間に余裕のある身であったから、名古屋の演劇インテリたちが、焼鳥屋の二階座敷に彼を招いて、飲み会を催したことがあった。私も末席に座って、酒は飲まず、彼が名古屋インテリ演劇に対して何を語るのかを拝聴していたのだが、まず、インテリ連中の、演劇論の応酬があり、それぞれが(当時の私が聞いていても)ろくでもない立派なことを述べていたが、つか氏はこれに加わろうとはせず、ただ、黙ってビールを舐めているだけだった。しびれをきらした、演劇論リーダーが、「つかさんは、どうお考えになりますか」と、話を振った、そのとき、これをかわすでもなく受けるでもなく、「懐手してひとを斬る」とでもいおうか、ひとこと「ところで、つかぬことをうかがいますが、あなたがたは、何で食べてらっしゃるんですか」と、そのコトバを一閃させた。ここで、空気は凍りついたようになり、演劇論もへったくれもなくなって、さて、その後のことは知らない。私は座を離れたからだ。まさに勝負あったとしかいいようがナイ。つか氏がブレイクして、名古屋の某劇団が『熱海殺人事件』を上演したとき、カーテンコールで、役者が勢ぞろいして、それぞれ手に団扇を持ち、これをいっせいに裏返すと、文字が一文字ずつ書かれていて「客席につかさんがおみえです」と読める趣向だったが、どこを捜してもつか氏の姿はなく、これもまた、つか氏らしいすっぽかしの小気味よさだなと、私は苦笑した。生前は一度もお会いしたことはナイが、おそらく、会っていたら、食うためにゴーストライターの仕事くらいは引き受けていたに違いない。
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この日は、奇しくもつか役者の三浦洋一の十三回忌の命日だった。
演博の企画展に行くのは2009年の太田省吾を扱った「現代演劇シリーズ第34弾 太田省吾展-人生の「地」と「図」をみつめて-」以来3年ぶりか。
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